夜、そして訪問者

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 ぐずるロミナが眠りについた頃、ライムは静かに外へ出て行った。家の鍵を閉め、辺りを見回す。  今のところ、ロミナの安全を脅かす存在の気配は感じられない。ライムは、そっと歩き出した。  しばらく森を歩くと、広い草原に出た。空の満月が、辺りを照らしている。  後ろから、ガサリという音がした。見ると、仔牛ほどの大きさの巨大な狼がいる。口には、大きな鹿を咥えていた。鹿は死んでいるのか、ぴくりとも動かない。  巨狼は鹿を軽々と運び、ライムの目の前に置く。その瞬間、ライムの口から鋭い犬歯が伸びた。猛獣の牙のようだ。  彼女は、鋭い犬歯を鹿の首に突き刺す。流れる血を吸い始めた。     ライムは人間ではない。  人間から、吸血鬼と呼ばれ忌み嫌われている種族である。しかも彼女は、同じ吸血鬼の者たちから追放された身の上なのだ。  かつて、ライムは吸血鬼の長老に直訴した。 「人間の血を吸わずとも、獣の血を吸えば生きていける。我々は、人間との共存の道を考えるべきではないか?」  ところが、誰も彼女の言うことを聞き入れなかった。それどころか、吸血鬼の掟に逆らった者として追放されてしまったのである。  同じ吸血鬼たちから追放者として追われ、人間たちからは怪物として忌み嫌われる。ライムは、孤独に生きてきた。  バロンもまた、似たような身の上である。かつては傭兵として、あちこちで戦ってきた。ところが、とある任務の最中に人狼に襲われる。どうにか撃退したものの、傷口から「狼憑き」を発症してしまったのだ。  狼憑きとは、人狼に噛まれた者がごく稀に発症してしまう病である。昼間は普通に生活できるが、夜になると狼の姿に変身してしまう。もちろん、人間だった頃の知性は残っているし自制心もある。人間を襲ったりはしない。だが、他人の目から見れば怪物以外の何者でもない。  しかも、生まれながらの純粋な人狼たちか見れば、ただの出来損ないなのだ。人間からは怪物として見られ、人狼からは出来損ない……バロンもまた、孤独に生きていた。己の素性を隠し、森の狩人として生活していたのである。  そんな二人だが、最初は単なる顔見知りでしかなかった。人間からは怪物扱いされる者同士、共感するものがあったが、それでも接触することはなかった。だが、その状況は一変する。  ロミナとの出会いは、偶然だった。  ある日、森を通りかかった旅人の家族がいた。だが彼らは、夜中に緑色の肌をしたゴブリンの群れの襲撃を受ける。  ゴブリンに惨殺されてしまった旅人の夫婦……その夫婦こそが、ロミナの本当の両親である。惨劇を目の当たりにしたショックで、娘は意識を失ってしまった。そのままだったら、ロミナも両親の後を追っていただろう。  その時、ひとりの吸血鬼が疾風のごとき勢いで現れる。偶然、近くを通りかかっていたライムだ。彼女は、ロミナをかばいゴブリンの前に立ちはだかる。  さらに、血の匂いを嗅ぎ付けた巨狼ことバロンも乱入する。ゴブリンの群れは、一瞬で蹴散らされてしまった。  以来、三人は家族として暮らしている。昼間に活動できないライムの代わりに、バロンがロミナの面倒を見る。そして夜、巨狼に変身するバロンの代わりに、ライムが少女の面倒を見る。  ロミナはといえば、以前の記憶を完全に失っていた。襲われたショックによるものだろうか、二人を本物の両親だと思いこんでいるのだ。  今のように、吸血鬼の本能を剥き出しにした姿を、ロミナに見られるわけにはいかなかった。だからこそ、家から離れた場所で血を吸っているのだ。  その時、巨狼の耳がピンと立った。空気の変化を察知したのだ。  ライムの表情も、一気に険しくなる。何かが、こちらに近づいて来ている。普通の獣ではない。魔の匂いがする。  だが、その表情はすぐに和らいだ。  闇の中から現れたのは、一匹の黒猫だった。とても美しい色の毛並みをしている。体型は、痩せすぎておらず太りすぎておらず、しなやかな体つきである。前足を揃えて佇んでいる姿からは、優雅ささえ感じさせる。  そんな不思議な雰囲気を漂わせている黒猫には、他の猫とは決定的に違う点があった。長くふさふさした尻尾が、二本生えていたのだ。 「久しぶりだニャ、お前たち。あの小娘は、まだいるのかニャ」  黒猫の口から出たのは、人間の言葉だ。しかも流暢なものである。  この黒猫の名はミーコだ。何者なのか、ライムはよくは知らない。知っているのは、ミーコは吸血鬼たちの間でも一目置かれる存在だということだ。かつてライムは、千年以上生きている吸血鬼の貴族たちに、ミーコが気軽に話しかけている姿を見たことがある。妖魔の中でも、上位の存在であるのは間違いない。  そんな黒猫が、自分のようなはぐれ吸血鬼に会いに来る理由は不明である。ロミナと暮らし始めてから、ミーコは半年に一度くらいのペースで顔を出すようになった。何をするでもなく、他愛のない話をして、すぐに引き上げてしまうのだが。 「うん、いるよ。何よ、あの子に会いに来たの?」
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