恋心

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恋心

「おかえり姉ちゃんどうだった?」 開口一番、一言一句予想通りの言葉がとんでくる。 「いい人だったよ寺田さん」 「またデートするの?」 ため息が漏れる。 こいつはそういうことしか聞けないのか。 「今のとこそんな約束してない」 「ふ〜ん。今のとこ、ってなんか含みあるね?」 私は幸助を黙らせるべく拳を振り上げる。 「都合悪くなるとすぐ手でるんだから〜」 幸助はダイニングに逃げるフリをしてまたカップラーメンを食べるつもりのようだ。 いい加減、お金を払ってほしい。 ふと、パソコンが目に入る。 最近小説を更新していないことを思い出した。 私は久々にノートパソコンを開いた。 今日から物語も佳境へ入る予定だ。 美花がめろを連れ散歩をしているとトラックが信号無視をして美花に突っ込んでくる。 美花をかばい轢かれるめろ、泣きながらめろにすがりつく美花。 美花を守れたと思っためろはハッとする。 彼女は大輝、とたしかにめろを呼ぶのである。 いつから気付いていたのか、また彼女を悲しませただけじゃないか。 遠のく意識のなか、彼女の声も届かなくなる。 今日の話を簡潔に説明してしまえばこんな感じだ。 急展開感は否めないがずっと考えていた話だったので書けて満足だった。 さっそく、数十分後には三島くんから感想が届く。 『もう更新しないかと思ってたからよかった。 最新話読んだ。泣いちまったよ。続きも楽しみだ』 パソコンから姿の分からない読者として感想をもらっていたときはもう少し砕けた感じの文だったが、『三島くん』からもらうメッセージはいつも無駄がない。 感謝を綴ったメッセージを送り、その日のやり取りは終わった。 月曜日。 「なんか営業の藍川さん、最近疲れてんなぁ」 そんなことを窓から事務所を見ながら呟く白沢課長に私と元原さんは顔を見合わす。 「苦労してるでしょうね、誰かさんと違って」 「誰かさんって誰?」 「課長以外に誰がいるんですか?」 私の言葉に頷く元原さんと一緒に笑った。 課長は口を尖らせ、ひどいなぁなんて呟いてうなだれてしまった。 「チャンスじゃない?」 課長に届かないくらいの小さな声で元原さんが私に囁いた。 チャンスという物言いに違和感が生じた。 寺田さんの言葉が蘇る。 『根津谷さんらしくいればいいと思います』 私らしくとは難しいが、少なくとも仕事で疲れている弱みにつけいることはしたくないと思った。 「元原さん、私はチャンスだとしても相手の弱みにつけいることはしたくありません」 それを聞いて少し驚いた顔をしたが、すぐに元原さんは微笑んだ。 「最近の若い子って真面目ね。」 でもね、と付け加える。 「辛い時に話を聞いてくれる誰かが会社にいるって、嬉しいことじゃない?」 そう言われると否定できない。 現に私は元原さんに何度救われてきたことか。 「だから、つけいるんじゃなくて、寄り添うっていうのかしらね。まあ、さっちゃんらしくやってみなさい」 もう一度微笑むと、元原さんはいつまでもうなだれる白沢課長をなぐさめに行った。 私らしく、か。元原さんにも言われてしまった。 私らしくとは、どんなだろう? 友達の私が、今藍川さんのためにできること。 お昼休憩、コーヒーを買いながら考えていた。 そういえば、藍川さんは微糖が好きだって言ってたな。 「あ、そっか」 休憩中の人気のない事務所を忍者のように身を潜め歩く。 「どうしたの?」 「うわっ」 声をかけてきたのは、昼食を済ませたらしい総務の人だった。 「あ、藍川さんに伝言があってメモを持ってきました」 「それなら私から伝えとこうか?」 「あ、いえ大丈夫です」 さっと、小さく折り畳んだメモを藍川さんのデスクに置き、缶コーヒーで隠した。 「失礼しました」 そそくさと事務所をあとにする。 電話も休憩時間にかかることはあるし、人がいるのは当たり前か、と今更ながら納得する。 そのあとは、車でいつものようにコーヒーを飲みながら読書にふけった。 気持ち、伝わるといいな。 ふと、メモに自分の名前を書き忘れたことを思い出す。 ……伝わらないかもしれない。 そんな私の不安は午後5時11分に解消される。 定時の人はもう正門を超えて、残業の人は業務に戻る、そんな時間。 スマホで時計を確認して、駐車場に向かう途中。 「根津谷さん!」 藍川さんが私を呼ぶ声がした。 振り返ると、一枚の紙切れを持ちながら手を振って駆け寄ってくる。 「これ、根津谷さんでしょ?」 ノートの一部を切り取ったその紙切れは確かに私のだ。 もう少しかわいいメモを使えばよかったと今になって後悔する。 「よく分かりましたね」 「微糖のコーヒーが置いてあったから、もしかしたらって」 それだけで勘付くのもすごいが、前に話したことを覚えてくれていたのだ。とりあえずは私だと伝わったことに安堵した。 「『無理しないで藍川さんらしく楽しんでください』って、なんか救われた。最近、昔みたいに仕事楽しむ事忘れてたから」 どうやら話せる範囲で事情を問うと、営業部長に新しい提案を古い顧客に通すよう言われ苦戦を強いられているらしい。 部長は多少無理なやり方でも構わないという方針だが、藍川さんはそれをよしとせず、あくまで顧客の満足する提案を用意できてから話し合いたい、と。 「営業だから、仕事もらってなんぼなんだけどね。自分の力不足を痛感するよ」 自重気味に笑う藍川さんはどこか虚ろで、だいぶ疲れているようだった。 きっと、もうずっと部長と顧客との間で板挟みなのだろう。 少なくとも、私はこんな藍川さんを初めて見た。 藍川さんは悪くない、そう言ったところで気休めにしかならないのだろう。 「けど、根津谷さんが俺らしく楽しんでって言ってくれたから、ちょっと頑張れそうな気がするよ」 ありがとね、そういって笑う藍川さんは私の頭をぽんぽんと撫でてくれた。 恥ずかしくて、視線を逸らす。 「自分らしくとか楽しめ、って私が救われた言葉なんです」 「誰に言われたの?」 「内緒です」 私は寺田さんに救われた。 26にもなって恋煩いするとは思わなくて、どうしていいか分からなくなっているところを『自分らしく』という言葉で。 元原さんもそうだ。 『気楽に。焦らずに。まあ恋愛を楽しみなさいってことよ』 そう言って、楽しむことが大事だと教えてくれた。 「根津谷さんの周りには、いい人がたくさんいるんだね」 「藍川さんの周りにはいませんか?」 少し考えてから藍川さんはため息をついた。 「少なくとも、部長は嫌いだ」 そんな本音をさらりと言うので思わず笑ってしまった。 なんだか、初めて友達になれた実感がわいた。 「根津谷さん、今日このあと時間ある?」 特に予定もなかったし頷いた。 「付き合ってほしいところがあるんだけど」 そう言われ、辿り着いたのはいつかのバッティングセンターだった。 「いやぁごめんね急に」 「全然大丈夫ですよ」 バッティングセンターの横の受付がある建物内にはフリースローが出来るバスケのゲームやクレーンゲームにリズムゲームなどもそろっていた。 ゲームセンター側の入り口から入ると音がうるさく、自然と会話も大声になる。 バッティングセンター入り口の機械で藍川さんはコインを購入し、私を見る。 「根津谷さんはいいの?」 「あ、私は前に来たとき買ったコインが残ってて」 そう言って財布からコインを4枚取り出した。 「そんなに打つつもりだったんだ」 藍川さんは楽しそうに笑う。 一体、誰のせいだと思っているのか。 いや、元はと言えば自分のせいなのだが。 バッティングセンターの場内に入るとやはりこの時間は冷える。 パーカーの前チャックを閉めた。 「さて、始めようか」 藍川さんにうながされると、私はいつものレーンを選びヘルメットを被る。 藍川さんはヘルメットは被らずにコインを入れるとさっそく打ち始めた。 カコーンと歯切れのいい音が場内に鳴り響く。 さすがに私と違って上手い。 やりずらくなってしまった。 「私、言っとくけど下手ですからね」 そう前置きをしてコインを入れる。 ビュン!スカッ!っとリズムよく空振る。 藍川さんはと言えばまじまじと私を見ている。頼むから観察はやめてほしい。 「バットを振り下ろすようにスイングしてみ」 藍川さんのアドバイスに頷き、アドバイス通り上から下へと向けてスイングする。 カコン!とボールがバットにヒットする。 遠くにこそ飛ばなかったが、驚きで思わず藍川さんの方へ振り向く。 「当たりました!」 自分でも驚くほどテンションが上がったのが分かる。 ネット越しに藍川さんがハイタッチを求めてくるので嬉々として私も応じる。 「よかったね」 「はい!」 まるで子供のようだが嬉しいものは嬉しい。 その後も調子良く当たりますますテンションが上がる。 2コイン分打ち終わったところで休憩を挟んだ。 ベンチに腰掛け2人して息を吐いた。 あまりにもタイミングが合ったので、顔を見合わせて笑う。 「久々だなぁ、こんなに楽しいのは」 「私も楽しかったです」 「そういえば、ちゃんと根津谷さんと話したのもこのベンチだったよね」 私は連絡先を聞いたときのことを思い出し、なんとも恥ずかしい気持ちになる。 「そういえば、そうですね」 ぎこちなく私はうなずいた。 「あの時、連絡先聞いてくれて嬉しかった」 それは初耳だ。 思わず藍川さんを見つめてしまった。 すると微笑む藍川さんと目が合う。 「根津谷さん、あまり人と馴れ合うイメージなかったから、俺に連絡先聞いてくれるってことは仲良くなろうと思ってくれてたのかなって思って」 そういう意味か、と内心少しがっかりしたが、藍川さんの言っていることは事実だ。 私が社内の人に連絡先を聞くなんて滅多になかった。 「そりゃ下心がありましたから」 ふてくされ気味に言ってみれば彼は笑うだけだ。 「俺今ね、ちょっと根津谷さんに惹かれてる」 唐突に耳に届いた言葉に固まった。 それは、やはり疲れたところにあんな手紙を渡したからだろうか。だとしたら私は結局、彼の弱みにつけ込んだことになる。 「なんか今日、初めて素の根津谷さん見れた気がして。今の言い方も、はしゃいでるのも、正直ちょっとかわいかった」 顔が一気に火を吹く。 この人はずるい。一度友達として向き合おうと決めてから、現在進行形で揺れている乙女心をさらりとかっさらっていく。 「でも年の差すごいからなぁ」 「やっぱり、年下の後輩はだめですか?」 過去を引きずっているのかという意図の質問に彼は首を横に振る。 「というより、単純に俺たちに年の差がありすぎるから自信がないんだ。 今仮に両思いになったとしても、いつか違う誰かを必ず好きになるんじゃないかって」 そう彼は言った。 人の心なんて変わるものだし、絶対ないとは言い切れない。それでも『この人』と決めれば信じ続けたいのが恋愛だ。 だとしたら私は。 信じてください。とは言えなかった。 藍川さんを好きでありながら、他の誰かに心惹かれてしまった自分を信じてくれなんて、虫がよすぎる。 「寒いですね」 話題を逸らした私に藍川さんはなにも言わずうなずいた。 「もう少し打ったら帰ろうか」 立ち上がる藍川さんはいつものように微笑んで、私を見る。 私もうなずいて立ち上がった。 「今日は月曜なのに付き合ってくれてありがとね」 「いえ、楽しかったです」 「じゃあ、次は飲みだね。楽しみにしてる」 「はい、私も」 車に向かおうと藍川さんに背を向ける。彼も車に向かう。 遠くなる距離は互いの心を映しているかのようで切なくなる。 「藍川さん」 振り向きざまに彼の名前を呼べば驚いたよう彼は振り向く。 「どうしたの?」 「私は、年の差とか些細な問題だと思います。たとえ、いくつ離れてても、その人だから好きなんだと思うんです。 それだけです。じゃっ」 言い切って息荒く車に乗り込んだ。 ドアを閉める直前、かすかにありがとうと聞こえた気がした。
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