繋がり

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「痛たた……!あ、ごめんなさいっ!怪我はないですか?痛くないですかっ!?」 意識が現実へと引き戻さると、肩を揺すられる。ガクンガクン。 黄色の毛先が跳ねまくったおかっぱの女は俺の部下に当たる。直接関わったことは無いが、上がってくる報告書には数々のミスをおかしたことが書かれていた。 くりくりとした瞳はあどけなさを残している。そんな顔に反し、身体はスラリと伸びてしなやかで丸みのある女性らしさがあった。 「いや、俺は……」 「うわあ!君、とっても美人だね……!?」 唐突に何を言い出すのかと思えば距離が物理的に近付く。瞬きすらせずに俺の瞳をじっと覗き込む彼女に耐えきれず、俺はなるべく丁重に押し返した。 「ごめんごめん!!見たこともない美人さんに見惚れてた〜。オーラからめっちゃ仕事ができそ……あああ!?」 今度は何だ。彼女の顔は青ざめていく。視線を辿っていくと俺の指元を見ている。白く長い指に赤い液がぷくり。 「ごめんね……!紙の端で切っちゃったのかな……」 見知らぬ彼女は慌てているが、不思議と痛みは無かった。 「いいよ、これくらい」 出血もそのうち止まるだろう。切り口もかなり小さいから大袈裟にアタフタしなくていい。むしろ、君も仕事に戻った方が……と諭しそうとした時、彼女の怒りは書庫に響いた。 「良くないです!」 べちょっ。否定言葉と一緒に粘着質な効果音。言葉は彼女の口から、じゃあ他はどこかというと、 「よくありません。手というものはその人の生き方をよく表すんだとおじいちゃ……あたしの祖父が言ってました」 「生き……方?」 彼女は自慢げに鼻をふすんと鳴らし、俺の指の間に同じ部位を通した。 「はい。うちの実家、御食事処で祖父はよく手が荒れていたんです。傷や怪我は努力の勲章だ、恥じることはない。そうよく教えられてましたが、祖父の真意はそこではなかったんです」 ぬるぬるぬる。摂ったワセリンが大量だったので、直ぐにでも俺の手は照明の光を浴びて艶ができた。 「『だからといい、見逃すな。何もせず放っておけば自身の心も荒れる。手は一番、物事に触れるものだからな、受け取った相手が少しでも柔らかい気持ちになるようにケアだけは抜かるな』そう書いてある日記を最近見つけました………。あたしが怪我をさせちゃったからあたしが悪いんだけど、そんな綺麗なハンドモデルみたいな手を粗末に扱っちゃダメだよ!」 嵐みたいな子だった。書類が彼女の足元でバラバラに散らばるのも想定がつく。 もう十分な量なのにまた丸器から足して俺の手首まで塗りたくる。 ワセリン伝いでも分かる女性特有のやわやわさ。力強く握れば壊れてしまいそうな儚さもある。そんな手が傷口を中心に懸命に丁寧に伸ばし、何度もギュッギュッと握ってくれた。 (あたたかい……。人肌の温度。触られたの、何年ぶりだった?) 「この保湿、血色良のワセリンを塗っちゃえばさらに血の巡りが良くなっていいかもね!あ、そうだ!お詫びに今度の週末、遊びに行かない?んー、映画とか!」 話題が次々と飛ぶ。全然関係のない世界へびゅーんとひとっ飛びだ。 彼女はその間もギュッと両手で握りしめ、表情をコロコロ変えていく。四季が流れるように、花が咲く。 「あ、あたしそろそろ戻らなきゃだ。連絡先教えて!」 ………あっ。 解けていく。離れていく。 誰かの温かみが冷えていく。 「んわあ……ベタベタしてスマホ操作しにくい。あ、君も大丈夫?てか、名前なんてーー……。泣いているの?」 泣いているの?彼女の声で頬から濡れているのにようやく気付いた。俺自身、予想のつかない出来事に戸惑う。 「……ああ、大丈夫。気にするほどでも」 「話聞くよ?何かあった?」 聞いた事のないほどの優しい音。人の声とはここまで胸を打つものなのか。 その一瞬の思考が悪かった。再び彼女は指の間に指を通してくれ、ベタつきの中にもさっきと同じ温もりがある。 ピンと張っていた糸が緩んでいく。ぐちゃぐちゃになり、絡まる、正常じゃない。 我慢しろ。 導かれた道を信じろ。 俺は母達の願いを叶えなければ、 「大丈夫じゃないよね?」 嵐とは小さな村や街をかっさらうかのように、跡形も残さない時もあるとニュースや新聞で知った。この目で確かに見たことはなく、召使いやメディア伝いにしか耳にしたことがない。 「……したかった……」 ワンピースを着てみたかった。黒や紺のスーツだけでなく、ふわりと風に揺られたら浮かぶくらい軽いスカート類を履いてみたかった。 仲の良い人物と一緒にお出掛けをしてみたかった。買い食い、学校帰りにラーメン、些細な日常でもいい。 「……っ……、ふ……」 涙が出すぎて上手く口が動かなかった。足は崩れ、床にぺたんと座っても彼女は絶対に手を離さなかったし、一緒になって体勢も変えてくれた。疑問を抱いたのはそれからだった。 「……制裁はしないの……かい?」 その時の彼女の表情は眉を吊り寄せ、顰めていた。苦虫を噛んだ苦しさもあるから頬への痛みを我慢し、その時を待った。 早く話さなかったのが悪い。想いは簡潔に、シンプルに伝えなければ相手を不幸にさせるのだ。 待てど待てど、空気を切る音すらやって来ない。代わりにベトっとした感触が頬から感じた。 「そんなの……するわけないじゃん……」 苦しそうなのに笑っている彼女。俺からすれば変だった。いや、今まで自分の背負っていたプレゼントの中身をとうとう知ってしまった『私』が変だったのかもしれない。
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