第一話

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第一話

 いつもの学校からの帰り道、坂もなく平坦で緑が輝かしい並木道、思わず足を引っかけてしまいそうなデコボコなアスファルト。交差点の手前、ふとリュックを下ろし、蜘蛛の巣に絡まった蝉の抜け殻を手に取り、いるはずもない誰かに一つ問いを投げかけた。 「僕は何のために生きているんだろう…。」  三十分ほど前、終礼で進路希望調査用紙を配られた。 「親御さんとしっかり話し合いなさい。」  担任が発した言葉を完膚なきまで反芻する。  もっとも僕には、親と対等に話し合うことなんかできるわけがない。きっと医者か薬剤師一択だ。実をいうと中二の頃、親からこの二つを勧められた時は、僕にはこの道しかないと思っていた。そのために県内トップクラスの進学校の理数科に入ったのだ。  今思えば、あの頃の勧めは親の自分勝手の策略だったのかもしれない。だいいち今現在理数科目の成績は平均に近い横ばいなのに対し、文系科目が平均を上回り急激に伸びている。恐らく理数科だから文系の平均が一般よりも低いのだと思うけれど。  おそらく僕は、まるでこの蝉のように、一生の大半を今課されている試練とみて暗闇の中で過ごし、やっと光が見えたと思ったらそこで命尽きるかのような、広漠とした人生を歩んでいくのだろう。  中二のまだ幼き心を親の策略により縛られて三年、高二になった今、他の道を考える余裕はもはやなくなってきている。  だが僕には、そうだ、唯一心の支えとなるものが一つある。それをふと思い出した時には、もう家まであと一キロの道のりを、セミの抜け殻を放り投げ、歩み出していた。    * 「私は何のために生きているんだろう…。」  友達から聞き返され、声に出ていたことに気付き、何でもないよと作り笑いを浮かべた。こんな思いに悩まされるのは、おそらく生まれて初めてだ。  教室を出て、渡り廊下を隔てた先に、音楽棟がある。数多くの音色が響く廊下を歩く最中、ふと手元の進路希望調査用紙に目を通す。締め切りは二週間後。音楽科に進んでいる私たちにとっては、もう決まっているようなものである。先生は、 「お家の人とよく話し合ってね。」  とはいうものの、私の両親はずっと私がしたいことをありのままに受け止め、一切口出しをしなかった。  小四の頃、友達の影響でピアノを始めた私は、それからみるみる上達し、始めて五年で県内のコンクールで一位を受賞した。音楽の道を真剣に考えてみればという周りの勧めから、ダメもとで受けた実技を通過し今に至る。これまで両親にもたくさん支えてもらった。私のためにグランドピアノを購入し、防音設備を施した練習室まで作ってくれた。  そんな親に育てられてきたからこそ、いまの私はほんとは自分はどういう人生を歩みたいのかが分からなくなっているのだろうと思う。  いや、こうも感じる。そこまで子供思いの親だからこそ、全力で応援してもらっているのを申し訳なく感じ、何も言い出せずにいる。だから親にわざと楽しんでいるように振る舞っているのだ。  学校のクラシック漬けのカリキュラムは正直しんどい。さらに周りの支えや期待がプレッシャーとなり、時々鍵盤を見ていると気持ち悪くなってくる。自分が嫌になってくる。  だからこそ今の私には現実逃避が必要なのだ。悩みやストレスすべてを忘れていられる環境が。今その場所に歩みを進めていることを自覚し、「018」と書かれた無機質な扉をそっと開ける。
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