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家に帰ると母が遅い遅いと私を叱りました。普段ならばうるさいナァなんて言ったことでしょうが、その時の私は何というか、達観しておりまして「これは失礼しました」なんて言ったものです。それを聞いて母は私が悪いものでも食ったのかと心配していましたが、私はそんなこと気にせず自分の部屋に戻りました。
その日はもう寝るまであの光景を脳裏に映していましたね。何度も何度も……。
翌日の図画工作の授業で、私は首吊り死体を作りました。団栗に錐で穴を開けるとそこに細い枝を差込んで人形を作り、木に見立てた大きな枝に紐で括りました。会心の出来だと思い先生に見せると頭を引っ叩かれながら「そんなものを作るな」と叱られました。
何故でしょうか。何でも作っていいと言われたから作ったのに叱られるなんて。合点がいきませんでした。そして私は、先生が美しい縊死を見たことがないからそう言うのだという考えに落ち着きました。
だから、いつか先生にも私が見て震えたあの首吊りに負けず劣らずの美しい首吊りを見せてあげようと決心したのです。
それが叶ったのは、決心から7年後の話です。私が初めて人を吊った時でした。
漸くこの時が来たと思いました。一人で女性を制圧出来る身体を作るのは生半可ではありませんでした。
先生に恨みがあったわけではありません。ただ純粋に、完成された縊死の美しさを見せたかっただけなのです。
先生は妻帯者でした。私の頭を引っ叩いた時
、既に。なので先生が縊死を見て美しいと思えるのは、矢張り奥様だろうと踏みました。
先生は地元の人でしたので、私は昔から先生の家を何となく知っていました。それからその何とない場所を探し歩き、表札で特定しました。
幾日か見張っていましたが、どうやらその家には先生と奥さんしか住んでいないようでした。御祖父母様はいらっしゃらないようで、お子さんも同様です。重畳でした。
そして遂に実行の日が訪れました。
私が張っていますと、先生が家の表で奥様と何やら話しております。耳を澄ませてみると、今日は夜遅くに帰るからどうたらこうたら言っていました。
それを聞いた時、あぁ、遂に来た。と思ったのです。
それから先生は言った通り奥様に手を振り歩いて行きました。奥様もお気を付けて、と言い見送ります。
やがて家の前には私だけが残りました。
そこからはもう早かったです。
幾日も見張っていると、先生だけでなく奥様の人となりもわかっていました。私は玄関を叩き、奥様を呼びました。
奥様は私を見ると怪訝な顔をしましたが、以前先生のお世話になった旨を話すと直ぐに合点がいったようでした。
訳あって先生に尋ねたいことがある。書き置きだけでもさせてくれませんか。なんて言った記憶がありますね。そうすると奥さんは快く諾なってくれて、奥に紙を取りに行きました。
私はその後を静かについて行きました。あの日で一番緊張しましたね。ばれても力で負けないのでどうにかなりますが、極力作品の材料を傷つけたくありませんから。
私が突き当たりの部屋を覗くと、奥様が蹲み込んで紙と鉛筆を探していました。その時に奥様の歳を経ながらも白い頸を見て「あぁ、この人は良い作品になる」と思いました。
私は奥さんに抱きつきました。そしてその細い首を私の右腕の肘の内側に引っ掛けると、すかさず左腕の肘の内側で右手を固めます。最後に左掌を返し、奥様の後頭部を前にぐいと倒しました。裸締めですね。
本当は最初から紐で締めるつもりでしたが、そうすると顔が鬱血してしまいますから、奥様の折角の美肌が台無しになると思い急遽辞めたんです。
そんな風に後は奥様を落とすだけでしたが、矢張り人は脅威が迫ると必死になるようで、奥様のその細い体からは思い及ばない程の力がありました。両足をバタバタさせ、私の腕を引っ掻き、叫ぼうと嗚咽のような声を上げました。
しかしながら私もその日まで何もしなかった訳ありません。先程も申したように、何年も掛けて身体を鍛えていたので。結局数十秒で奥様は失神しました。
そこからはもう急ぎでした。万一起きた時の為に猿轡を噛ませ、身体も縛り、そして吊るのに適した場所を探し……。いやぁ、慣れてないと大変なものですよ。ですが、どうにかなりました。
和室の箪笥に紐の片端を括り、それを欄間に通して垂らし、奥様を吊ったんです。順番としては逆ですけど。奥様を吊ってからじゃないと苦労しますからね。
そこからは修飾でした。本当は私が見た遺体の様に、屋外で夕陽をバックに吊るした所を先生には見せたかったのですが流石に無理はできません。だから私は予め買っておいた化粧品や摘んだ花で奥様を飾り付けることしか出来なかったのです。今思えばあれは悔やまれました。
ですが当時の私はそんなに気にしていませんでした。何よりも処女作の完成を喜んでいたのです。私が感銘を受けたあの作品には程遠いでしたが、やはり自分の作品というだけあって感動は一入でした。
ようやっと完成した作品を眺めていたらがらりと玄関が開く音がしたんです。何事かと思い耳を澄ますと、飛び込んできたのはなんと先生の声でした。
「おぉい、財布を忘れっちまったよ。取ってくれぃ」
なんて事でしょう、先生がこんなに早く戻ってくるとは思いませんでした。
勿論その言葉に返事を返すものは居ません。おかしいと思った先生が上がってくるのが床の軋みで分かりました。時々軋む音が止まるのは恐らく他の部屋を覗いているからでしょう。
私が居る和室には隠れるところなどありません。私は覚悟を決めて先生が障子を開けるのを突っ立って待ちました。
ついに足音が私の目と鼻の先で止まりました。ゆっくりと障子が開いていきます。そしてその隙間から先生が現れました。
「……」
先生は欄間にぶら下がった伴侶を見てあんぐりと口を開けていました。当然の反応です。先生はそのまま私の方に顔を向け言いました。
「……お前がやったのか?」
「はい」
もう逃げ場など無いのです。私は捕まる覚悟をとうに決めていました。──逆上した先生に殺される覚悟も。
「この野郎っ!」
先生は私に飛びかかると馬乗りになり、ぎゅうと首を絞めてきました。反抗すれば逃げ出すことも出来たでしょうが、私はそうはしませんでした。されるがままです。
「どうしてこんなことをしたっ!この気違いめが!」
「先生、に……私の作、品、を……見て……欲しかった、から、ですよ……」
私の言葉に顔を真っ赤にした先生が奥様を見上げます。
「ふざけるな!こんなもののどこが……!」
と、先生の言葉がそこで切れ、首を絞める力も急に弱くなりました。何があったかと咳き込みながら先生の方を見ると、先生は澄んだ瞳で奥様の遺体を見つめていました。顔も上気していません。
「こんな……ものが……」
弱々しくそう呟くと先生は立ち上がりました。そして、奥様の真正面に座るとじっとそれを眺めるのです。
「……弘子」
ぽそりと奥様の名前を呟きました。そして……。
「綺麗だ……」
綺麗だと。そう言ったのです。
私はそれを聞いた時、凄く嬉しくなりました。あぁ、やっと先生も首吊りの美しさに気がついてくれたのだ!と。
「おい、◯◯」
先生が私を呼びます。どうやら今の一連で私が嘗ての教え子だと得心したようでした。
「はい、先生」
「お前はこれを俺に見せたかったのか?」
そう話す間も先生は奥様から目を離しません。
「はい、その通りです。先生に縊死の美しさを知って頂きたく」
「そうか……そうだな。成る程、確かにこれは人に教えたくなる……」
先生の瞳から涙が一筋流れました。そして、先生は驚くべきことを口にしました。
「◯◯、お前、逃げていいぞ」
「えっ、ですが」
「不思議だ……妻を殺された怒りより、この芸術を生み出したお前に対する感謝の方が大きい。ムショなんかで時間を潰さず、お前にはもっと作品を作って欲しい」
その言葉に私の目頭が熱くなりました。
自分の創作物が、他人に認められた嬉しさがこれ程のものだとは想像だにしていなかったのです。
それから私は先生に感謝の言葉を言い、家を後にしました。そして、奥様の事件は犯人不明とされ未解決になりました。
……ん?えぇ、あぁそうですよ。その時見逃してくれた先生が、私の初めての弟子……というか、模倣犯第一号になります。いやぁ、あの方の才には目を見張るものが有りました。わざわざ材料の血を抜いて色白にするなんて、余程色白な奥様が好きだったんでしょうね。他の模倣犯23人の中にもそんなことする人は居ませんでしたから。
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