悪役令嬢の旗印

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「レイノルドは私の救いだったの。だから、彼が王太子様の側室になれと言うなら従うわ」 ふぅ、と息を吐いてティーカップを戻し、スラリと扇を広げる。 そしてソロソロと近づいてきた黒猫ちゃんを捕らえた。 「───そして、側室になることがサーラ様の助けになると?」 黒猫ちゃんは再び、私に問われてからさも初めて気付いたかのような表情をした。それは迷子のような心細さを抱えたものだった。 「……レイノルドはそう言っているもの」 やっと返ってきた言葉に思わず、笑ってしまう。 フッと息を漏らしてクスクスと笑う私に、カッと頬を赤くさせ黒猫ちゃんは臨戦態勢になった。 「なによ!」 「お気を悪くなさらないで。あまりにもかわいそうで、かわいそうで……情けない猫ちゃんなものだから」 つい、と更に笑って見せれば、心の内を見せてしまったことを後悔するような、怒りを膨らませ全身をわなわなと震えさせた。 あら。まだ怒る力は残っていたのね。 安心しましたわ。そうでなくては。 「サーラ様が今教えてくださったのは【目的】ではないわ。サーラ様は逃げだす前も、今も、他人に連れられるまま背負われるまま……。今歩んでいる道はどこへ向かっているのかもわかっていないままなの」 身に覚えがあるのか、そんな……と呟いたまま、眉をギュッと寄せて黙ってしまった。 「周囲の決めた婚姻、誰かに用意された逃げ道、連れ出された場所で側室になれと言われたらそれに従い……盲目的に誰かを信じ振り回されるばかりで、ほんとうに」 おかわいそう、と顔を傾げて見せれば燃えるような瞳が返ってきた。 「あんたに何がわかるのよ」 「全くわからないわ」 音を立てて扇を閉じれば、空気が変わる。 もう二人の耳には鳥のさえずりも、風に揺れる木々のさわめきも耳に入らなかった。 「あなたもわたくしも、そこにいる侍女や騎士も皆、用意できた荷物・費やせる時間・旅を始めた場所、それぞれ違う条件の道を歩む者たちばかりだというのに、たまたま出会った他者の苦労や心情を全て理解し、苦しみという積み荷を肩代わりした上、背負って目的地まで運んであげようと申し出る方が現れたとしたら、それは神か詐欺師ですわ」 ───レイノルドお兄様は、あなたにとってどちらかしら。 ハッと息をのむ音だけが浮いて聞こえた。 彼女は思考の渦に耐えるのに精一杯の様子で握りしめた手をじっと見つめている。 その様子を見守りながら席を立ち、サーラ様の前に新しい紅茶を注ぐ。 サーラ様からは珍しい香りがした。これは香木でしょうか。 その香りがわかるほど近くに立たれても気づいていないようだ。 「今、サーラ様はレイノルドお兄様だけは違うと、また盲目的にご自分を説得していらっしゃるの?」 「ち、ちがうわ……っ レイノルドは本当に、」 この期に及んで、まだごにょごにょと言おうとしているお口に人差し指を乗せる。 とたんに唇は閉じられ、何が起きるのだと目が私の動きを伺っている。 無遠慮に乗せられた指を振り払うでも無く、されるがままだ。 こんなにも簡単に主導権を他人に譲ってしまうなんて……本当に、心配になってしまうわ。 1、2、3 ゆっくりと時間を数え、小首を傾げる。 「わからないなら知ればいい──そう思わない?」 彼女の黒曜石のような瞳をのぞき込む。 こんなにも無防備な子猫ちゃんを魔窟に放り出すなんて、レイノルドお兄様は何を考えているのだろうか。 「あなたがレイノルドお兄様を見極めるのよ」 ───神か、詐欺師か そして、冒頭に戻る。 サーラ様からふわりと離れ、扇で口元を隠した。 「あいにくと、わたくしはわたくしの進むべき道を謳歌するのに忙しいのだけれど。他人に振り回されてばかりのかわいそうな猫ちゃんが、またご自分の足で歩けるようになるまで保護してあげてもいいと思っているの」 「自分の足で……」 サーラ様から呆けたような呟きが返ってきた。 「自分の道を探すのも、拓くのも、歩くのも。活力が必要だわ。サーラ様の苦しみを理解することは出来なくても、進む道を探すお手伝いは出来ます。他者に振り回されて疲れてしまった心では、見えなかった道が見えるわ。きっと。わたくしも見たいもの」 サーラ様は言葉をかみしめるように目を伏せ、ゆっくりと開いた。 先ほどまで迷子のようだった寂しそうな瞳はどこにもない。 良い目ですわ。 * 「なんですの、この書き物は」 「こっ……ここで広げるのはやめ…ッ……よしてくださいませ」 恐らく『やめなさいよ!』と言いそうになったのだろう。 フシャーッと毛を逆立てたサーラ様は、先日からお貸している優秀スパルタ侍女モネの鋭い視線を受け、しおらしい口調に戻った。いい調子ですわ。 私もモネの厳しい監視の目が無くなり、伸び伸びと出来ているような、少し心細い日を過ごしている。 先ほど差し出された用紙をよほどこの場で広げられたくないのか、顔を赤くした黒猫ちゃんの挙動が明らかにおかしくなってきたので、侍女たちと護衛たちに部屋の外で待つよう指示を送る。 どうしてもというので、侍女のモネだけは扉の内側に立つことを許した。 ──侯爵家からついてきてくれた、姉のように慕っている侍女のモネをサーラ様にお貸ししたのには理由がある。 まず以前までサーラ様にはメイドのみつけられていた。 メイドはあくまでも城の使用人であり、家具と同じ──とまで言う貴族がほとんどである。 しかし、侍女は主個人の身の回りを整え、補佐なども兼務する。いわば秘書のような役割を担っている。侍女は貴族教育も済んだ貴族の娘が就くため、これからのサーラ様には必要……なのだが。 人選は難航した。なにせ、サーラ様の内情を漏らさないという信頼のおける人物は限られる。 まだ私も新しい人材を選んでいる途中だというのに、サーラ様をお願い出来る人物……ということで、ここは信頼はお墨付きのモネにお任せすることとなったのだ。 そして、サーラ様を助けるという名目でモネを傍に置き、サーラ様自身や周辺の様子を探るためでもある。 モネから視線を外し、サーラ様に差し出された用紙の中を確認する。それには先日サーラ様に課した”課題”が書かれていた。 「──なるほど」 目の前に座りながらモジモジする黒猫ちゃんを横目に読み進めてゆく。 サーラ様に出した”課題”とは、レイノルドお兄様を知ることである。 私はサーラ様から見たレイノルドお兄様を──つまり、サーラ様はレイノルドお兄様のどこを見ているのかを知りたかったのだ。 相手の何を知ろうとしているのか、何を評価しているのかを知ることで、調査者自身が何を重要視しているのかがわかるのだ。 わたくしの師匠であるリチャード様もきっと同じことをするに違いありません! ************** レイノルド・リベラティオ(19) ・リベラティオ国第二王子。噂に違わぬ美形。 ・ミステリアスで足元から絡め落とされそうな怪しい魅力が危険! ・あの海のようにきらめく瞳がもう素敵! ************** 用紙から視線をサーラ様に移す。 きっとわたくしのアメジストにも例えられる菫色のウルウルおめめも半目になっている気がするわ。 なんだか昔の自分を見るような居心地の悪さに背中がチクチクしますわ! 「……とりあえず、サーラ様がレイノルドお兄様をどう思っているのかは、わかりました」 知りたいことは全くわからないが、わからないことがわかったわ。 師匠、この作戦は前途多難なようですわ。 用紙をパタンと閉じサーラ様の方へ返すと、素早い動きで用紙はサーラ様の懐へ戻っていった。 恥ずかしがりやの黒猫ちゃんは両手で顔を覆い、何ごとか呻いている。 わかりますわ。乙女は恥ずかしがり屋なのよね。
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