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悪役令嬢の萌芽
日の光が植物達に降り注ぐ爽やかな昼下がり。
一部の隙も無く整えられた王宮の庭園の端。
人目を避けるような木々の陰にて。
小麦色に焼けた肌の若い庭師と豪奢な銀の髪を揺らす令嬢がいた。
作業着の上からでもわかる、若く逞しい腕に抱かれた花はとても小さく見える。
その腕に抱く花を愛おしそうに見つめる庭師の目には確かに熱い想いが込められていた。
「殿下がお戻りになられるまで……あなた様のお心をお慰め出来ればと思いまして」
聞く者が聞けば、婚約者が不在の隙を狙って心の隙間を埋める愛人の台詞に聞こえてしまうが、二人の間にあるのは秘密の恋や愛では無い。
庭師が慈しむように抱えている花……いや、庭師は花だと言っているが。
どこからどう見ても緑色の塊に無数の針のような棘が生えている謎の物体だ。
そう、これは逢い引きでもなんでもない。庭師になんとも摩訶不思議な植物を紹介されているのだ。
「不思議な形の……植物ですのね。花より茎? 幹? のほうが主役に見えるけれど、薔薇より棘がついていて全体的に見たことがない形だわ」
「はい。遠方から取り寄せた荷箱の中に入っていた緩衝材の藁の中に種が入っていたようで……それが”彼女”との運命の出会いです」
「カノジョ……」
「はい!!」
庭師の青年はツンツンと棘に触れている。愛があれば痛みを感じないのだろうか。愛は人を強くすると言うものね。
令嬢の後ろに控える侍女たちも世にも珍しい不思議な植物を見たらいいのか、庭師の強靭な指を見たらいいのか忙しなく顔を動かしている。
「それは……ロマンティック、ね……? そちらの小さな芽……いえ”彼女”も異国の植物かしら」
庭師の抱える鉢は二つあり、棘の塊とまとめて抱えられているもう一方の鉢には、まだ若々しい芽が出ていた。
「さすがアディール侯爵令嬢様は鑑識眼がおありになる。まさに、こちらの”レディ”は」
レディ、と繰り返した私の言葉をどう受け取ったのか、庭師は「はい!!」と瞳を輝かせた。
「”レディ”は”彼女”の足取りを追うために足を運んだ港街で知り合った商人から譲り受けました」
私のそばで未だキョロキョロとしている侍女のために、念のためおさらいしておくが”彼女”とは棘の塊の方である。
「荷を運んでいた商人たちに”彼女”の名前を聞いて回りましたが情報が無く、途方に暮れている私を不憫に思ったのか、ある通りすがりの手に変わった痣のある男が『これでも食って元気を出せ』と見たこともない実が入った壺を安く譲ってくださったのです」
それは譲ってくれた、というより怪しい者に上手く買わされただけでは……?
そう思ったのは私だけでは無いようで、付き添いの侍女や護衛騎士からもなんとも言えない生ぬるい空気が流れている。
「実の中にある種に気づいた私は元気を取り戻し、種を植えました。そして芽吹き、こうしてすくすくと育ってゆく”レディ”の姿を見て私たち親子は気づきました」
庭師の青年の後ろに立ついまだ現役の庭師(父)が深く頷き、近くに生える比較的小さな背丈の樹木に手を添えた。
一同の視線がザッと庭師(父)に向く。
物憂げなため息が落ち、十分な間を置いた後。庭師(父)の口が開いた。
舞台の奥行きを出す往年の名わき役のような間の取り方だったわ。あざなをつけるとしたら沈黙の魔術師ね。
「こちらの”マダム”は、私がまだ若造の頃に港街で≪宝島≫の商船から譲り受けた種を育てたものです。花しか咲かぬと思っていましたが、まさか実がなるとは……”マダム”には寂しい思いをさせておりました」
庭師(父)、あなたもなのね。
ゴクリ、と誰かの喉が鳴った。
「───つまり、この苗……いえ、”レディ”が成長するとこのような樹…ンンッ、”マダム”になり、それは≪宝島≫の植物である、と。そういうことですわね」
「さすがです、アディール侯爵令嬢様」
「ご明察です」
庭師親子はキラキラと目を輝かせジリジリと距離をつめてくる。
何かしらこの圧は……!!
《宝島》とは、我がリベラティオ国がある大陸と海を挟んで隣にある島のことである。
はるか昔は狭い島の中に小国がひしめき合い、争いの絶えない時代があったという。しかし、ある一つの国が島全体を統一し、一つの国家としてまとまり平和が訪れた。
──だがしかし。この数百年、海向こうの国は他国との交流をピタリと止めた。
《宝島》に関する情報はその程度で、理由はその島の周辺には魔物が住んでいるという伝説が残る海域であるということだ。
その島国である小国ごとき、大陸側の軍事力をもってして手に入れればその向こうの国や陸地を経由しなくても他国を攻めやすくなると考える者は山のように現れ──海の藻屑と消えていった。
魔物が住むといわれる伝説は真だったからである。
しかし、最新鋭の軍艦が海の藻屑と消える中、島国から小さな木造船がやって来た。その船は決して争わず、対等な国交を望んだ。
それを目の当たりにした者たちは恐れおののき畏怖した。
きっと、その島に住む者たちは自然を操る魔術を持っているに違いないと。
それから年に数度のみ、大陸側の港に現れては珍しい品々を置いていくのだという、どこまでが真実なのかわからない話を耳にしたことがある。
実際、その自然の要塞に囲まれた小さな島国には、過去どの国も攻め入ることが出来なかった。
神の気まぐれが起きた天気が良い日には、その島が目視できる距離まで最接近出来るらしく、存在することは確かだが謎が多い国だと習った。
「つまり、《宝島》には我々がまだ知らない植物があるのです。島は見えるのに、行けぬとはもどかしい!」
「《宝島》には”マダム”が実をつける秘密がある。それを知ってしまっては、まだまだ引退できぬとそう思った次第です」
「「アディール侯爵令嬢様なら、ご理解くださると思っておりました!」」
庭師の親子は情熱的に愛を叫んだ。
それぞれ逞しい腕の中の植物たちに。
*
ここは王宮の庭園の端にある、植物園の敷地である。
ここでは主に王宮の庭を彩る観賞用の植物を栽培・管理・開発を担っている。
ではなぜ庭師の親子と珍しい植物について語り合って……一方的に語られているかと言うと。
前回リチャード様と王妃様ご自慢の大迷路に挑戦した際に、屈辱的にも謎を解くことが出来ず悔しい思いをしたことから始まる。
いいえ、まだ負けてなんていないわ……!
圧倒的かつ不屈の悪役令嬢ローズ・アディールは諦めないのである。
晴れた日の隙間時間にコツコツ迷路に通いつめ、雨の日は上から迷路を眺めイメージを掴み。
己を鼓舞し、雨にも負けず風にも負けず。
そんな日を繰り返しながらやっと活路を見出したのだ。
しかし、謎は謎だからこそ人々を惹き付けてやまないのである。
攻略直後に降り出した雨が中々止まず、晴れた頃合いを見計らって復習のために迷路に再び足を踏み入れたのだが……迷宮がラビリンスだったのだ。
何を言っているかわからないかもしれないが、私もわからない。
通れると思っていた道が塞がれ、新たな道が出現していたのだ。
途方に暮れる心がそうさせているのか大空を舞う鳥さんに見下ろされ、うろうろと彷徨う様を笑われている気がする。
──人は迷う定めなのか
迷路とは古の王が魔物を閉じ込めるために作らせたのが起源だという。
それがいつしか秘宝への険しい道のりや、神に近づくまでの心の葛藤のシンボルとなったのだ。
まさに私の心の中には葛藤があった。
絶望、諦め、焦り。
そんな私をずぶ濡れの野良猫が高笑いしていた。心情の例え話である。
しかし、かすかな光が残っていた。未だ燃える闘志……戦う心であった。
掴んだと思ったのに手をすり抜けていくターゲット。
倒したと思ったのに生きていた好敵手。
物語を盛り上げていくのはいつだって、手強い敵なのだ。
そして、名探偵でもある悪役令嬢ローズはピーンと閃いた。
先日からリチャード様は公務で王都から離れている。この隙に迷路という敵を攻略し、帰ってきた師匠をあっと驚かせてみせとうではないか。素晴らしい。名案だ。
今度はわたくしが彷徨えるリチャード様を導くのよ!ふふん!
早速、名探偵ローズは庭園を管理する者を捜索することにした。
素直に道を攻略しても、迷路の道が変わるタイミングを知らなければ悲劇を繰り返すことになるのだ。
頭脳派悪役令嬢である私の頭は今日も冴えている。
背景に溶け込むように庭を整える庭師たちの背後をとり、さりげなく聞き込み調査を実地していると尋ね人である王妃様の迷路を管理しているという親子が自ら現れた。探す手間が省けたわ。
尋ね人はなぜか顔を青くして地に埋まる勢いで出会い頭に謝罪を述べ始めたが、私が欲しいのは謝罪ではない。迷路に関する情報である。
しかし、欲しいものを要求するだけでは品が無い。
まずは私の一挙手一投足に怯えた様子の庭師の親子に、迷路の素晴らしさや迷路の壁となる薔薇などの植物に対するきめ細やかな愛情に感心したことなどを伝えた。植物も人も愛情を注ぐからこそ健やかに育つのだ。
すると今度は地中に埋まる勢いで泣かれてしまった。頭を下げ大泣きする二人の大男。それを見下ろす私。見るものが見ればなんて物騒な光景に見えるだろうか。
───ただ、わたくしは迷路の情報を教えてほしいだけなのよ。
機密情報を持っているからか、庭師親子は口が堅い。
警戒心を和らげるため、ターゲットへは何日かに分け接触を試みた。
ただ怯えるばかりだった庭師親子と視線が合い、警戒心を解いていった。
話すうちに王室お抱えの造園士の知識、技術、演出は素晴らしいものだということがわかった。自然に生きるものの声を聴き、共存する庭園という名の舞台。そして緻密に計算された技術。どれとして不要なものなどないのだ。
そして、すっかり警戒心が和らいだ頃。知りたかった情報も得ることが出来た。
王妃様の迷路は去年まで半年に一度の更新だったのだが、最近の人気ぶりを鑑みて三月に一度の更新にしたとのことだった。『昔から育てている薔薇だけでは無く、新種の花々をこの期に披露出来るようになり嬉しい』と次代の造園管理責任者(25歳/独身/好きなタイプは手のかかる花/夢は新種植物と出会うこと)は白い歯を輝かせハニカミながら語った。
そしてもう一つ、重大な情報を得た。
迷路の地図などは現責任者から騎士団へ毎度報告されているということを。
なんですって
チラリと後ろに立つ護衛騎士に視線を向けると、地平線に沈みゆく夕陽を見つめる石造のような顔で遠くを見ていた。
こちらを見なさい。見れるものならわたくしの目を見なさい……!
それはそうだわ!そうでなかったら警備できないものね!
くっ……彷徨う私の姿はさぞ滑稽に見えたでしょうね……!
灯台下暗しとはまさにこの事。真実は意外と近くにあるってことなのかしら!?
迷路の出口にある運命を紡ぐという女神の像の手の上を特等席にしている、いつもの鳥さんにアイコンタクトをとる。あなたもそう思う?
また一つ、リチャード様が留守の間に少し成長してしまったわね。
きっと戻られたら私の成長っぷりに驚き腰を抜かすに違いないわ。
瞼を閉じ、柔らかくこちらを見るあの空色の瞳を思い描いた。
もう何度、瞼の裏にリチャード様を思い出しているのでしょうか。
振り返れば、リヒト様の事があった頃から毎日のように『史上最高の悪役令嬢になる訓練』でお会いしていたのだ。
それまでどのようにして過ごしていたのか、もう思い出せなくなってしまった。
婚約を結んでからというもの
リチャード様の近すぎる距離にドキドキして……いたたまれなくなるのだ。
あの瞳にじっと見つめられ、髪に触れられるだけで
どうにかなってしまいそうな自分がいて、
それがいつもの自分では無くなってしまいそうで、
すぐにその場から逃げてしまいたくなっていたというのに。
離れてしまうと、とたんに寂しくなってしまった。
──認めるわ。今、とてもリチャード様に会いたい。
どうしてしまったのだろう。
リチャード様と師弟関係になってから、リチャード様といると力が増すような気がしていたのに。
離れてしまった今はなんだか切なくて、心が欠けた気分になっているわ。
………早くお戻りにならないかしら
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