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悪役令嬢の取引
───絶体絶命だわ。
王宮の深部にある王族の居住区の廊下にて。
息を殺して潜むのは、この国の王太子の婚約者である。
視線の先には金の髪を輝かせる美男子と、カーテンの陰には初夏の色にふさわしい、若々しい色合いのドレスの一端が見えた。
立ち去ろうとする令嬢の腕の中にいた白い愛猫は、するりとその身をしなやかに使い豪奢な絨毯に飛び降りたところだった。
*
それでは、どうして王太子の婚約者であるわたくしが壁に張り付くように隠れているのかというと。
きっかけは数刻前までさかのぼる。
わたくしのお部屋には白猫のスコッティ、通称スコちゃんがいる。
スコちゃんとの運命の出会いは省略するわ。
紆余曲折、波乱万丈、学園の裏庭から王宮に連れられたスコちゃんは、今日も今日とて私のお部屋の特等席である窓際で優雅に眠っている……はず、だった。
わたくしもいつものように学園から戻ると一番にスコちゃんに戻ったことを伝え、その白く柔らかい体に一礼して癒しを求めるはずだったわ。
そう。
そのはずだったの。
しかし入室した瞬間に視線を独り占めする玉座のようなクッションにも、領土(部屋)を一望する砦のようなクローゼットの上にも、難攻不落の要塞のように身を隠せるベッドの下にも、どこにもいなかった。
リチャード様が不在の今、癒しの源泉であるスコちゃんまでいないとなると私は……私は……ッ
禁断症状で虚ろな目になってしまいそうな体を叱咤し、お部屋の周辺を捜索していたところ、いつの間にか王族の住居区域まで行き着いてしまっていたらしい。
豪奢な絨毯の上にデロンと転がるスコちゃんを見つけた時は、神に感謝を捧げたわ。
オアシスを見つけた砂漠の迷い人のように駆け出し、手を伸ばし乞い、抱き上げようとした瞬間。スコちゃんはヒラリと身をひるがえし奥へ奥へと行ってしまう。
な……ッ、簡単には捕まってはやらないと……! そういうことですのね!
王族の居住区域に入った段階で侍女数名は立ち入ることが出来ず、モネと護衛騎士のみ同行することとなった。
少数精鋭で訓練された隠密部隊かのように、ヒラリヒラリと逃げるスコちゃんを追い詰め、やっと捕まえた廊下の先。
シャツを大胆に着崩したレイノルドお兄様が窓際のカーテンの陰で談笑しているではないか。
よくよく見れば、そのカーテンの陰にはご令嬢のドレスが見える。
こ、これは……!
思わずスコちゃんの視界をパフンと遮る。
レイノルドお兄様と、どこぞのご令嬢の密会現場ですわ!
私の後方にいる部隊にハンドサインで危険を知らせる。部隊とは侍女・護衛たちのことである。
こんな王宮の奥までお連れになるなんて一体どなたなのかし……いえいえいえいえ、いけないわローズ。
余計なことは知らない方が身のためよ。
好奇心は猫をも殺す、君子危うきに近寄らず、触らぬ神に祟りなし!
歴史の偉人達もそう言っている。
────そう、こういう時に厄介事に巻き込まれるのが物語の鉄板というもの。
このままでは危険よ。即時撤退が吉。そんな予感がするわ。やはり物語の肝心かなめな役どころである悪役令嬢の勘は今日も冴えている。
素早く先ほど来た道へと戻ろうとした瞬間。
顔を抑えられたスコちゃんがムズがって、またニュルリと腕の中から滑り降りた。猫は液体なのかしら???
スコちゃんはシュルリと尻尾をしならせると、トテトテと危険の方へと歩いてしまう
「だ、だめよスコちゃん……!! そちらは危険よ!」
もちろんわたくしの声は最小限まで絞っている。
そんな最小限の声でも通じたのか、角を曲がってわたくしの足で一歩程度の場所でスコちゃんはゴロリとお腹を見せた。
グリグリと背中を絨毯に擦り付け、そしてキュルリとあのかわいらしいお目目で見上げるのだ。
ぬぬぬぬ……! そんな表情、卑怯ですわ!
チラリと危険対象物を見るが、まだこちらに気づいていないのか二人ともカーテンの中に入ってしまった。
な、なにをこんなところでしているやら……!
恋に必要なスパイスといえばスリル・ショック・サスペンス、だったかしら……? だとしても、こんな廊下でスリルを味合わなくてもよいのよ!
レイノルドお兄様は遠目で見るとリチャード様にとても似ているので、違うとわかっていてもご令嬢とカーテンの陰にいるところを見ると、なんだかこう……あぁ! やはりこんなことろにいてはいけないわ。
心の壁をカリカリと引っ掻かれるような感覚を無視しながら、今のうちにスコちゃんを抱き上げようと手を伸ばす。
もう少し。
もう少しなら───
「───ローズ、こんなところで何をしているんだ」
やっぱり見つかってしまったわ。
*
なにも見ていないことを強く主張し、急いでスコちゃんを抱き上げ退散しようとするも、スコちゃんはレイノルドお兄様の腕の中でゴロゴロと目を閉じている。
なんてこと。
スコちゃん。そのお方はリチャード様によく似た顔をしただけのレイノルドお兄様ですわ!
そんなやり取りをしている間にご令嬢はどこかに行ってしまったのか、この廊下にいるのは私たちの他、モネと私の護衛騎士2人だ。
「こんなところで立ち話もなんだから、俺の部屋に来る?」
「まさか。もう下がりますので」
そんな冷たいことを、とレイノルドお兄様はわたくしの護衛騎士の内の一人、日替わりで近衛騎士団からきてくださっている方にスコちゃんを預け、私の部屋に戻しておくように命じた。
そしてこの場に残った二人。私の実家の侯爵家から連れてきた二人に離れているように告げたのだった。
───二度目の絶体絶命だわ。
来たわ。厄介事の方から。
悪役令嬢としての勘は冴えていても、どうやら回避はできないようだ。
問題ごとの方から集まってくるのは、物語の強制力というのではなくて?
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