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誰も、何も動かない空間を。風が黒髪を揺らした。
「……あんた、私を脅すの?」
彼女の小さな声が、確認するように落とされた。その言葉には反応せず、じっと黒曜石の瞳から視線を外さなかった。
「……わたくしはサーラ様のことが知りたいのですよ」
逃げや誤魔化し、嘘など認めない。彼女がどういうつもりなのか見極めるのだ。
──でも、もし。
最初はどんな形であれ親交を持つうちに、前婚約者リヒト様の時のように……リチャード様とサーラ様が想い合うようになってしまうことがあったら。
私はあの時と同じように身を引くのだろうか。リヒト様の時のように、リチャード様の幸せを心から願い、応援することが出来るのだろうか。
サーラ様の嘘や誤魔化しを許さないと息巻く自分と、自分の気持ちに戸惑う自分を認め、困惑する。
いま私を突き動かしているのは、サーラ様に指摘された通り、浅ましくもリチャード様を独り占めしたいという気持ちなのではないか。
国の利益だとか、レイノルドお兄様の鼻を明かしてやるだとか、そんなもの関係なくて。
ただリチャード様の瞳に映るのは自分だけであって欲しいと────
「──あんた、レイノルドのことをどう思ってんよ」
「……は、レイノルドお兄様、のことですか?」
んんん????
急な話題転換に反応が遅れた。いやいや、まてまて。今はリチャード様のことについて、である!
圧倒的で史上最高の悪役令嬢である私は自分の持ち得る”悪役力”を総動員しながらサーラ様を見極め! そして自分の心の葛藤に戸惑っていた場面だったと思ったが、なぜ急にレイノルドお兄様なのだろうか??
「……っ、その! レイノルド”お兄様”というのは、なんなんなのよ!」
「なんなの、とおっしゃられても」
なんなの、はこちらの台詞である。
ガシャンと興奮した面持ちで立ち上がったサーラ様を見た護衛と侍女たちがすわ緊急事態かとと近づいて来たが、手で制し元の場所に戻ってもらう。
どうどう。
先ほどまでの冴え渡るほどの悪役然とした空気はどこかに散らばってしまった。
もう集合の笛すら届かない距離に散ってしまったようだ。
鏡を見なくてもわかるほど、私の顔はキョトンとしているだろう。
私の表情を見たサーラ様は我慢ならないとばかりにまた表情を歪ませた。
「あーッ! もうなんなのよ! あんたはその王太子様とよろしくやっていればいいじゃない! レイノルドにまですり寄って、欲張りすぎよ!!」
「擦り寄るとは心外ですわ。レイノルドお兄様はレイノルドお兄様で、それ以上でもそれ以下でもありません!」
何かあるみたいな言い方はよしてくださいませんこと!?
興奮状態のサーラ様の興奮状態につられて私も久々に声を荒げた。
王宮内に部屋をいただいてから、人の目を意識し気を付けていたのに! こんなところを侍女に見られたら叱られてしまうわ! あっ、見られていましたわ!
お目付け役の侍女モネの視線から身を隠すように体をサーラ様の方へ寄せれば、サーラ様もズイと体を寄せた。
先ほどより声を落とすようにしながらも会話は続く。
「あんた私に、あんなに『わたくしの親愛なるレイノルドお兄様』だとか凄んでおいてまだ言うのね。幼馴染か何か知らないけど、あんなにベタベタしちゃって! かわいいね、だなんて言われて調子に乗ってるんじゃないわよ。いい加減、そういう子供染みた関係から卒業したらどうなの」
「”親愛”はそのままの意味ですわ!。そしてあれらはベタベタではありません。しかも、あの”可愛いね”はサーラ様が思ってる意味は含まれていません。だってレイノルドお兄様は──」
「はぁー? 私のほうが”レイノルドお兄様のことをよく知ってますぅ”って顔やめてもらえますぅ? 妹ですぅ。可愛がってくださぁい。みたいな顔して独占欲むき出しちゃって。私に婚約者に近付くなって脅す前にそれどうにかしなさいよ。自覚がないなんてとぼけないでよね」
「んまあ! 分からず屋ですわね! サーラ様こそ、随分とわたくしとレイノルドお兄様のことを気にしていらっしゃいますが、あなたこそわたくしの婚約者を変な目で見ないでくださいませんこと!?」
今度は私が立ち上がってしまい、モネが落ち着くように動きと視線で合図を送ってきている。わかっているわ。あくまでもここは王宮内。取り乱してはいけない。イケナイ。いけない。
ストンと椅子に腰を戻し、お互い息を整えるように紅茶で喉を潤わせた。
「──つまり、サーラ様はレイノルドお兄様のことをお好みですのね」
「……っ、わざわざ言わなくてもわかるでしょ」
そう言ったサーラ様は頬をほんのり染め表情は『はっきり言わないで!』と言っている。……なんともわかりやすい方である! もしかして、これが俗にいう”ツンデレ”というものではなくて? 本で読んだことあるわ!
まったく。紛らわしいことこの上ない。
私たちの間に置かれたままのスコーンの皿を、今一度サーラ様の方へ寄せてみた。
「……何よ」
「毒は入っていない、という意味ですわ」
「……そうだったの。てっきり”あんたには私の食べ残しがお似合いだ”って挑発されているのかと思ったわ」
「それは新しい解釈ですわね……」
レイノルドお兄様のことをお好みなのに、リチャード様の側室になりたがっていた理由について聞きたいところですが。
サーラ様の赤い顔が落ち着くまで、ゆっくりとスコーンを食べることにしましょう。
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