悪役令嬢の嫉妬

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悪役令嬢の嫉妬

「ベンったらっ もう、からかうのはやめて! ノアも笑ってないで助けてよ! んもお~ッリヒト様まで~~!!」 柔らかそうな頬を膨らませた少女は少年三人の腕や胸を軽く叩き抗議をする。そんな少女の様子を見た少年の朗らかな声が講堂に響いた。 それもそのはず。この講堂で彼ら以外に物音を立てる者はいない。 誰もが声のする方を見ないように顔を伏せながら、しかし耳を澄ませて会話を聞いているのだ。 俺もその一人。 しかし、その異様な空間に一人近づく令嬢がいた。 それは第三王子の婚約者である、ローズ・アディール侯爵令嬢だ。かの令嬢の背には輝く銀髪が流れ、面差しは夜の女神のように輝き、その菫色の瞳には理知的な色が宿っている。 「リヒト様、ごきげんよう。殿下の笑い声が耳に届き私まで楽しくなってきてしまいましたわ。ベン様、先日の剣術のお稽古拝見いたしましたわ。とても雄々しく獅子のような身のこなしが素敵でしたわ。ノア様も日曜礼拝でのお姿、素敵でしたわ。来週はユリの花を寄進させて頂きます」 まずはその場で一番身分の高い王子殿下から。次いで側近の高位子息へ。優雅かつ完璧な、一つ一つが計算された動作で挨拶をしていく。その姿は高位の貴族令嬢として、また王族の婚約者として相応しい姿だった。 「──そして、ソーニャ様。本日もお元気そうでなによりですわ。差し出がましいとは思うのだけれど、殿方との距離があまりにも近いと心配なさる方もいらっしゃるわ。お気をつけくださいませ」 その歌うような声を合図に講堂の空気が一変した。誰かの安堵する声が聞こえた。 侯爵令嬢が告げた言葉はごくごく当たり前のことではあるが、この講堂で下を見ていた誰もかも中心にいた高位貴族である少年たちに言えなかった言葉なのだ。 ちなみに、意味は『他者の目があるところでは距離を改めろ』だ。 裏を返せば他者の目が無ければいいのか、ということになるが……それこそ個人の問題だ。個人の問題はさておき、やはり今回のように他者の目があるところでこのようなやり取りは褒められたことではない。リヒト殿下はもちろんのこと、他二人の少年にもそれぞれ婚約者がいる。それぞれの婚約者たちは、さぞやきもきしてこの光景を見ていたことだろう。しかし、その場にリヒト殿下がいて、しかもそれを受け入れている様子だったなら誰も言えないではないか。 それを諫めることが出来るのは、やはりリヒト殿下の婚約者であるローズ様しかいなかった。 それなのに。 「ローズ嬢。心配なさる方~なんて遠まわしな言い方はよせ。嫉妬をしているのは君だろう」 「ベン様……」 「ローズ様。嫉妬で水を差すのはやめた方がいい。君の評価が落ちるだけだ」 「ノア様……」 リヒト殿下の側近候補に当たる二人の少年の鋭い声が講堂に低く響いた。 ローズ様の進言で一件落着と思いきや、斜め上に風向きが変わった事態に皆、顔を上げ呆けたように中心の面々を見た。ロ、ローズ様の嫉妬……? え? え? なんて? ポカーンとした顔をしたのは俺だけじゃないはずである。 「ローズ……差し出がましいと思うなら、控えてくれるか。ソーニャが怖がるだろう」 「……リヒト様ッ」 普段は穏やかな声色が常の王子殿下も、己の婚約者に向けてザラリと苦々しい表情で言葉を返した。その言葉に弾かれるように、侯爵令嬢のか細く、縋るような小さな声が聞こえた気がしたが。少年たちにかばわれるように後ろに立っていた少女が前へと躍り出てくることで掻き消されてしまった。 「ごめんなさいッ! ローズ様、あの、みんなただの友達なんです! やっと仲良くしてくれる友達が出来て嬉しくなっちゃって……目ざわりでしたよね……ほんとうにごめんなさい……」 少女はの声は震えていた。 そして何拍か間が空き、侯爵令嬢の凛とした声が涼やかに広がった。 「……いいえ。学園に馴染めたのなら、それは素晴らしいことですわ」 その直後、教師が入室しうやむやなまま解散となった。 * 「それでですね! リヒト様が、こう、グッとソーニャ様の肩を引き寄せて! アーッ! もう、あのシーンをどなたか描いてくださらないかしら? 天から光が差す感じで!」 あの時のリヒト様ったら、使命を与えられた騎士のような表情で良かったわ。傷ついた乙女(ソーニャ様)を守る騎士! イイわ! ──本日の講堂での一幕の後 興奮冷めやらぬまま午後になり、これはリチャード様にお聞かせしなくては。むしろ誰かに言いたい。言わなければ納まらないこの興奮! と、爛々とした目で草むらや廊下の影を探していたら偶然にも後ろからリチャード様が現れ、またもや偶然にも空いていた応接室があり、スムーズに今日の出来事を報告することが出来たのだ。 いつもならば同席するのはお兄様だけなのに、今回はなぜだか他の側近の方々も座って耳を傾けていた。視線でリチャード様に確認すれば”気にするな”と返って来たし、良いのだろう。では! と心の興奮が新鮮なうちにとばかりに本日の講堂での一幕を報告したのだ。 「ローズ……随分と話しが脚色されていないかな?」 「え。リチャード様、なぜそのような魔王顔に──失礼いたしました。ご気分が優れないようですわね。わたくしったら気付かずにペラペラと」 「いや、違う。気分は最高だ。今から狩りにでも行きたい気分だよ」 「それはお元気ですわね……そのままの意味で」 魔王顔で微笑むリチャード様が恐ろしくて、チラッとお兄様や側近の方々の方へ視線を流すと、こちらも今にも獲物を殲滅しそうなお顔をしていた。やめて! 森の動物たち逃げてー! 「ローズ嬢。弟が、ベンがすまない。剣の稽古ばかりで頭が足りないようだ」 獲物を素手一撃で仕留めてしまいそうなワイルド系美形、騎士団長様のご子息であるトーマス・パトリオート様。 「うちのノアも……誠に申し訳ありません。どうやら認知の歪みが酷いようだ……」 今にも倒れそうなほどの儚い美人系美形だけれど、獲物を捕える罠はしっかり張っていそうな此方の方が国教を支える神官長様のご子息ミハエル・ザーロモン様。 「ローズ、困った時はすぐお兄ちゃんに言いなさい。大丈夫なようにするから」 訓練された獲物を魔王の前に差し出しそうなインテリ系美形。パトリック・アディール。頼りになる兄だ。 ──リチャード様の側近方の弟たちは、リヒト様の側近候補に多いのだ。 王家に子どもが誕生するとなると、貴族たちは未来のご学友のために子どもを集中して産む傾向がある。かくいう私も、そのパターンだ。側近じゃなくて婚約者になったのに、それもダメそうですけれど…… 「いいんです! わたくしの登場で、お二人の距離が縮んだのですから!」 「──あいつらの寿命もな」 「え?」 誰ですか今の殺し屋みたいな声は。 「……では、午後は狩りの時間としようじゃないか」 リチャード様は魔王の笑みでそう言った。 ……本当にお元気ですわね。
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