いつからなんて

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「お疲れ様、悠くん」 「お疲れさまでした!」  マネージャーの財前さんやまだ撮影が残ってる蓮と別れて、仕事を終えたおれはロケバスを降りる。 (ふう……)  おれの家までは、ここの最寄り駅から電車と徒歩で十五分くらいだ。すっかり暗くなった道を駅に向かって歩き出した時、スマホがぶるっと震えた。なんだろう。「……!」画面を見て、息が止まりそうになった。 【着信 薫ちゃん】 (え……)なんで、どうして。昨日話したばっかりの薫ちゃんから電話がかかってくるなんて思ってもいなくて、おれは口から心臓が飛び出しそうなくらいドキドキする。薫ちゃんの、透き通るような少し色の薄い切れ長の瞳や、長い睫毛や癖のある黒髪を思い出して、鼓動が高鳴るんだ。 「……もしもし?」  勇気を出して電話に出ると、「おう、悠。おまえ、今日の夜空いてるか?」と薫ちゃんが言った。 「きょ、きょうの夜っ? えっと、仕事、今終わったとこだけど……」 「暇なら、一緒に飯でも行かないか? 昨日、電話途中で終わっちゃったろ」 「え……っ」  うそ。そんなこと、気にしてくれてたの。おれがなにかを言いかけた時に、薫ちゃんの家に同僚とやらがやって来て、驚いた俺は電話を強引に切ってしまった。後悔してたけどどうしようもなかったおれに、歳上らしく薫ちゃんは手を差し伸べてくれるんだ。おれが感動してぼーっとしてると、沈黙をどう受け取ったのか、薫ちゃんが小さく付け加えた。 「いや、もちろん忙しいなら今度でいいけど……」 「っ! ううん、超ひま!! っていうか、ひまじゃなくても行く!」 「ふふ、わかった。じゃあ店とっとくから、情報送るよ。俺もあと三十分くらいで終わると思う」 「うん……! 待ってるね!」  おれがバカでかい声で返事をすると、また薫ちゃんがふふって笑って、電話は切れた。 (薫ちゃん……)  逢える、んだ。夢みたいだと思いながら、おれはドキドキを抑えきれずに、とりあえずカフェに入って時間をつぶすことにした。薫ちゃん、早く逢いたい。     *    *    *    * 「悪い悠、遅くなった」 「薫ちゃん!」  約束の時間から少し遅れて焼肉屋の個室にやって来た薫ちゃんは、いつも通りシュッとした細身の服をまとって前髪を上げて、左耳にピアスをつけててとってもお洒落だった。おしぼりを受け取りながら飲み物を頼んで、おれに笑いかけてくれる。 (ああ……)  やっぱり、おれの薫ちゃんだ。ずっと頭から離れなかった薫ちゃんの裸の寝姿よりも、こうして起きて笑ってる薫ちゃんはもっと綺麗で、生き生きしていた。 「じゃ、乾杯」 「乾杯! お疲れさま!」  運ばれてきた飲み物のグラスをかちんと鳴らして、しばらくおれたちは飲み食いに集中した。 「ここの肉、うまいんだよ」  お肉は薫ちゃんが焼いてくれて、もっと食えよとおれのお皿に載せてくれる。ちょうどいい焼き加減のタン塩だのハラミだのを食べながら、おれはずっと、薫ちゃんに聞きたいことがあった。でも、なかなか言い出せなくて。そうしていると、一旦テーブルの上の肉を全部食べきったタイミングで、薫ちゃんがおれを見た。 「……なあ、悠」 「なあに?」  おれが、ビー玉みたいに丸くて大きいって薫ちゃんによく言われる目を見開いて見つめ返すと、綺麗な幼馴染はこくん、とハイボールを飲んでテーブルに置いた。 「この前の電話でさ、なにか言おうとしてたろ? あれ、なんだったんだ?」  やっぱり、覚えててくれたんだ。嬉しさが胸にこみ上げて、でもおれは、あの時何を言おうとしてたのか、正直はっきりしないんだ。薫ちゃん、逢いたいよって。怒ってないって本当?って、本当なら逢おうよって、ただそう言いたかったのかもしれないから、こうして逢えた今ではもう意味がなくて。それより。 「それは……もう、いいんだ。ねえ、それよりさ……」  箸を置いて、おれは薫ちゃんをじっと見つめる。琥珀色の瞳、薄い唇、白い肌。なまめかしくて妖艶な歳上の幼馴染を見つめると、胸がやっぱりドキドキする。どうしてかわからないまま、おれは言った。 「昨日の……あれって、誰……?」  言いにくすぎて、小さくなった声。それを聞いた薫ちゃんが、「あれって?」と怪訝そうな顔をした。 「ほら……電話してた時に、薫ちゃんの家に来た、同僚だって男の人……」  おれはそれが、気になって気になって。知りたいような知りたくないような、そんな想いを抱えてた。おれが勇気を出して尋ねると、薫ちゃんはまだ不思議そうな顔をして、「だから、同僚だよ。ただの」と言った。でも、でもさあ。 「合鍵持ってるってこと? それってただの……ほんとに、ただの同僚なの?」 「は? いや、それは、なんかあった時のために預けてるんだよ。俺が実家と折り合い悪いの知ってるだろ」  それは、知ってる。薫ちゃんのお父さんは薫ちゃんに自分の病院を継ぐお医者さんになってほしくて、小さい頃から塾に通わせてた。でもそれが叶わなくて、半分勘当みたいに無視された薫ちゃんは奨学金で服飾学校に行ってたんだ。でも、でも。納得がいかなくて、おれはぐっと胸に切なさがこみ上げる。 (何かあった時に、って……)他の誰かが、そんなポジションにいるなんて、やだよ。 「で、でも……おれは持ってないもん! 薫ちゃんちの合鍵なんて……!」 「なんでおまえに……っ、おい、悠……?」 「何!」  おれが叫ぶと、薫ちゃんがぽかんとした顔になった。そんな顔見たことなくて、びっくりしながらおれはずずっと鼻を啜る。薫ちゃんが、言った。 「おまえ……なんで、泣いてるんだ……?」 「!」 (え……)おれ、泣いてるの。驚いて目尻をこすると、冷たい感触がした。泣いてる。おれ、こんなことで、悔しくて泣いてる……。薫ちゃんが眉を下げた。   「泣くようなことかよ……そんなに合鍵、ほしかったのか?」  そんなこと、今まで一度も言わなかったろ。優しい薫ちゃんが困ったように言う。そうだよ、おれだって、今までは全然そんなの平気だった。でも。でも今は、平気じゃないんだ。 (なんで……)  なんでかなんてわからない、わかんないよ。どうしてこんなに、薫ちゃんのことが気になるのか。親しい同僚のことが気にかかるのか。これって。これって……。 (……もしかして、おれ……) 「悠、泣くなよ。そんなにおまえも欲しいなら、合鍵のこと考えてみるから……」 「……ちがう」  ちがう。違うんだ。あの子と一緒がいい、なんて子供みたいな理由で泣いてるんじゃない。ぐしゃ、とおしぼりで顔を拭いて、おれは首を振る。ずっと悩んでいた理由が、わかった。わかってしまった、今更。おれは。おれはきっと。 「……おれ……薫ちゃんのことが、好きなんだ」  薫ちゃんに、恋してる。顔を上げて、おれはそう言った。薫ちゃんの琥珀色の瞳が、大きく見開いた。
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