いつからなんて

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 恋してる。そう言われて、俺は目を見開いて悠を見つめた。世界から、音が消えたような気がした。 「おれ……おれ、ようやくわかったんだ。なんで一緒に寝たあの日から、こんなに薫ちゃんのことが気になるのか……」  悠は、いっそ全部言ってしまえ、というように大きな瞳を潤ませて続ける。(何……?)何が起きてる。なんでこんな、行きつけの焼肉屋の個室で、俺は幼馴染から一世一代の告白を聞いてるんだ。まるですべてが夢みたいで、俺は呆然とする。そうして夢じゃないと思い出して、胸がずきんと甘く切なく痛んだ。ああ。 「薫ちゃん……」  思いの丈を突然俺にぶつけた悠が、きゅっと分厚くて形のいい唇を噛んで俺を見つめる。今にもそのビー玉みたいな瞳から大粒の涙がこぼれ落ちそうで、俺はどうしたらいいかわからなくなる。なんなんだ。なんで、今なんだ。今更なんでだよ、悠……。俺まで泣きそうになるのを懸命に堪える。しっかりしろ、沢村薫。 「……なにか言ってよ。薫ちゃん……」  黙り込んだ俺に、しびれを切らした悠が言い募る。ぷうっと膨れるその幼い子供みたいな表情を見てられなくて、俺は目を伏せた。悠。俺はこれから、お前をきっと、ひどく傷つける。 「……無理だよ」  どう言えばいいかわからなくて、それだけぽつりと呟くと、悠が息を呑む気配がした。顔を見られないまま、俺はテーブルに載せた自分の指先がかすかに震えるのを見つめる。(だめだ……)ほだされるな。俺には、言うべきことがある。 「俺は、……お前には、興味ない」  絞り出した声は、自分でも驚くほど冷たく聞こえた。「……!」この隔絶された空間はあまりにも静かで、悠の心が張り裂ける音まで耳に届いたような気がした。 「そ、……それ、ほんと……?」 「……ああ。幼馴染としか思ってない」 「……っ、じゃあ、じゃあ、なんで……!」  耐えきれない、というふうに悠が声を上げた。いつも明るいこいつの、こんな声を聞くのは初めてだった。俺はぎゅっと拳を握りしめる。平静を装う俺に、悠が言った。 「なんで、おれに優しくするの……!? おれ、ずっと迷惑だった……?」  信じていたのに、裏切られた。そんなふうな切なすぎる声に、胸の奥が、ざっくりと切り裂かれたように痛んだ。瞳に涙が滲みそうになるのを瞬きで抑える。(ああ……)悠、ごめんな。こんな俺なんかを好きだと言ってくれたのに、俺は。 「……おまえが、いつまでたっても甘えん坊だからだろ……それだけだよ」 「なんだよ、それ……おれのこと、嫌だったのかよ、薫ちゃん……!」 「……」  何も言えずに、俺は精一杯表情を消して悠を見た。悠は泣いていた。お人形みたいに整った、誰もが振り返る美貌をぼろぼろにして泣いていた。 「泣くなよ。嫌だったなんて言ってないだろ……でも、応えられない」 「……ッ、もう、いい……!」  それ以上聞きたくないのか、悠はがばっと立ち上がって、ボディバッグから財布を取り出すと、くしゃっと何枚かの札を掴んでテーブルに叩きつけた。 「悠。いいって、俺がおごるよ」  金を戻させようとする俺を見ずに、悠はぐしゃぐしゃの泣き顔を腕で隠しながら、何も言わずに個室を飛び出していった。「悠!」走り去る足音が、遠くに響いた。行った。あいつは、行ってしまった。 (悠……)  取り残された俺は、黙って目を閉じた。力なく俯いて、額を指で覆う。誰よりも大切な人間をひとり、思い切り傷つけた。その罪悪感と募る切なさで、しばらく動けなかった。     *    *    *    *  マンションに帰ると、誰もいないがらんとした部屋が俺を迎えた。力の入らない身体でなんとかシャワーを浴びて、着替えて髪を乾かして寝る支度をする。 「……」  ふいに、どうしようもなく懐かしくなって、実家から持ってきたアルバムをクローゼットの奥から引っ張り出した。まだ開く勇気がなくて、俺は唇を噛む。  ベッドサイドの薄明かりの中でゆっくりページを開くと、最初の写真にバスケットボール部のユニフォームを着た悠と、それを後ろから抱きしめる俺が写っていた。「……っ」見るんじゃなかったと思いながら、俺はこみ上げる想いに胸を詰まらせる。初勝利だったな、悠。俺はちゃんと見たよ、おまえのシュートを。今も覚えてる。 (薫ちゃん、見てた!?)  チビの頃は、るーちゃんって呼んでたくせに。いつからか薫ちゃんと呼べるようになって、背もぐんぐん俺よりでかくなって、長すぎる手足をもてあますように成長していった悠。記憶に散りばめられた思い出の、あちこちにおまえがいる。 (るーちゃん、あそぼ!)  いつだって、俺達は一緒にいた。ふたりだけで笑い合って、俺が泣けばおまえも泣いた。出逢ったその日から、俺とおまえは親友になった。友達なんてひとりもいなかった俺の人生に、神様がくれた祝福のようにあらわれた幼馴染のおまえ。悠。悠、おまえがここにいる。おれの、大切な思い出の中にいつも。 (るーちゃん、はいこれ!)  遠い日に、シロツメクサの花冠を夢中で作って、俺に被せて。るーちゃんはお姫さまだって、おまえ言ってたよな。初対面の時から何度も何度も、本当は女の子じゃないの? なんて聞いてきて、もしそうならどれだけよかったか。でも俺は、俺なんだ。もうお姫さまにはなれない、おまえのことも傷つけてしまった。ページをめくってもめくっても、そこには悠の笑顔が、泣き顔が、真剣な顔が続いている。 (泣かないで、るーちゃん)  クラスの奴らにいじめられてた俺を、小さな体でかばってくれた勇敢なおまえ。おれのるーちゃんを泣かすやつは許さないって、殴られてぼろぼろの顔でそう言ったよな。どれほど気恥ずかしくて嬉しかったか、おまえは知らなくていい。  親の反対を押し切って大事に飼ってた兎が眠るように息を引き取った夜も、おまえはそばにいてくれた。(今日は泣いていいよ、薫ちゃん)そう言って、一緒に泣いてくれた。手を握っていてくれた。 「悠……」  他の誰かでなんて、到底代えられない。他の誰も、おまえほどは俺を理解できない。他の誰も、おまえのようには俺を救えない。そうだ、そうなんだ。涙が、ぽとりとアルバムのうえに落ちた。 (薫ちゃんなら、画家だってデザイナーだって、何にだってなれるよ)  美術部で描いた俺の絵を見て泣いた悠。俺の作品をいつだって愛して、才能を、未来を、信じてくれたおまえ。  泣きながらアルバムの最後のページをめくると、そこには挑むようにこちらを見つめる、アラビアンナイトをモチーフにした卒業制作衣装を着た銀髪の悠がいた。彫刻のように美しく、力強く、謎めいて人の心を離さない。 (薫ちゃん、おれ、どうだった?)  誇らしかったよ。眩しかったよ、悠。おまえのおかげで、グランプリが取れたんだ。おまえがいなきゃ。たったひとりじゃ、自分を信じて、あそこまで意地を張れなかった。きっとどこかで諦めてた。今の俺にはなれなかった。悠、おまえが、いなかったら。 「……、ぅ、……っ!」  言えなかった気持ち、本当は、ずっと愛してた。今夜は、涙が止まらない。  
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