いつからなんて

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「……うーん……」  暑いな。そう感じて、目がさめた。どんな夢だったかは一瞬で忘れた。するりと手の中からこぼれ落ちるように、夢の残滓ごと、それは儚く消えてしまった。 (あれ……?)  ここ、どこだ。目覚めて最初にそう思った。おれの家の慣れたベッドじゃない。つるつるしたサテンっぽいシーツにグレーの薄い布団、どちらの肌触りもおれの知らないもので。(え?)軽くパニックになって顔を巡らすと。 「……!」  息が、止まりそうになった。同じベッド、つまりおれのすぐ隣で、誰かが寝ている。こちらに背を向けている細く尖った肩は、何も纏っていなくて……って、それはおれもだ。(マジ!?)がばっと布団をめくると、おれは上半身裸で、下はボクサーパンツ一枚で寝ていた。うそだろ。 「……」  おそるおそる、なんだか見覚えのある耳の形から向こうを覗き見る……そうしておれは、もう一回呼吸ができなくなる。そんな、ことって。 (……かおる、ちゃん……?)  俺に背を向けてすやすやと裸で眠っているのは、誰あろう、おれの二歳上の幼馴染の沢村薫その人だった。(えっ、えっ、え!?)慌てて辺りを見回すと、そういえばここは、ほとんど来たことがない薫ちゃんのマンションだ。いや、え? 「……おれ、ここでなにしてんの……?」  全く何も、思い出せない。(どうして、こうなった?)頭を抑えても、昨夜遅くまで二人で飲んでいたことしか覚えていなくて。それはこの近所の居酒屋だった、はずだ。二軒目行ったっけ? それからどうした? 全然思い出せなくて、ただ冷や汗をかく。頭痛がして気持ちが悪い。明らかに二日酔いだ。いやそれより。 「ん……」 「!!」  おれがおろおろしていると、ごろんと薫ちゃんが寝返りを打った。ほっそりとした首筋から鎖骨、そして無邪気な寝顔が露わになる。妙に色っぽいその姿を見て、おれは息を呑む。 (う……っ)  まじで、まじでなんなの。なんでおれはここにいて、おれたちはふたりとも裸同然なんだ? 落ち着け、と自分に言い聞かせてもパニックは収まらなくて。と、薫ちゃんのまぶたがぴくりと動いた。  「!」心臓が飛び出そうになって、おれは慌ててベッドから転がり落ちた。顔を上げれば、おれの昨夜着ていた服が無造作に置かれているのに気づく。 (よかった……!)  服、あった。急いでそれらをかき集めて、ジーンズに脚を通し、シャツをがばっと着込んで、きょろきょろと見渡せば携帯と財布もあった。カバンは……もともと持ってなかったはずだ。とにかく一刻も早く、薫ちゃんが目覚める前にここを出ないと。なんでか、それしか頭に思い浮かばなかった。早く、早く。 「……」  身支度を整え、少ない荷物をポケットに押し込んで、ふと肩越しに振り返る。薫ちゃんは、いつもは綺麗に上げている黒髪が額にかかっていて、切れ長の瞳をぴったりと閉じて眠っている。なめらかな肩の稜線、浮き出た鎖骨がなまめかしくて、おれは慌てて目を逸らし、彼を起こさないようにそっと部屋を出た。 (薫ちゃん……)  ねえ、おれたち、何があったの? 頭はろくに回らなくて、どうするのが最善かもわからなかった。ただ、何もなかったことにしたくて、逃げるようにマンションを飛び出した。       *    *    *    * 「で? 何も言わずに、逃げてきちゃったわけぇ?」 「……だって……」  パニックになった二日酔いのおれが、回らない頭で思いついたのは、隣の駅にたまたま住んでいる親友の三上蓮の家に駆け込むことだった。一人では、到底平気でいられなくて。おれがソファの上でクッションを抱えて口を尖らせると、おれよりずっと小柄な蓮がはあ、と呆れた顔をする。 「ていうかさ。昨夜何があったとか、どこでどうしたとか、まじで記憶ないの?」 「……まじで、全然、おぼえてない……」 「へー。最近の悠にしちゃ、めずらしいね」  そうだ。昔はそれこそ無茶な飲み方もしたけれど、一応モデルの一ノ瀬 悠として顔が売れてきて、SNSのフォロワーも増えてきた最近は、あまり飲みすぎないように気をつけてはいるんだ。でも……。 「……薫ちゃんと飲むの久々だったから、嬉しくて飲みすぎた、かも……」 「そんで裸で同衾? 行きすぎじゃね?」 「ど、同衾とか言うなよ! それにパンツは履いてたぞ!」 「そういう問題じゃないと思うけど……」 「うう……」  ああ、一体、昨夜何があったんだ。情けないことに、全然思い出せない。よほど飲んだのか、薫ちゃんに相当迷惑をかけてしまったのか、なにかとんでもないことをしでかしてしまったりしてないか……怖くて、まだ連絡もできていない。 「けどさー、黙って出てくることなかったんじゃん? 起こして、何があったか聞けばよかったじゃん」 「そっ、そんなことできねーよお!」 「なんで?」 「……っ」  なんで。そう言われると、おれもわからない。でも、大理石みたいにぴかぴかな白い肌を見せて眠る薫ちゃんを見たら、とてもそんなことはできなくて。汚しちゃいけないとても神聖なものに見えて、触れることさえできなくて、おれは逃げてきてしまった。薫ちゃん、今頃目を覚まして、何を思ってるだろうか。あなたは、昨夜のことを覚えているの。 「まあ、とりあえず水いっぱい飲んで、頭はっきりさせれば。そしたら思い出すかもしんないし」 「ん……」  たぶん、それはないだろう。おれはめったに記憶をなくさないかわりに、一度ぶっ飛ぶぐらい飲んでしまったときは、あとからどうやっても思い出せないんだ。とは言わずに、面倒見のいい蓮が差し出す水のペットボトルを受け取って、ぐびぐびと飲み干した。ああ、生き返る……それにしても。 (薫ちゃん……寝顔なんて、ひさしぶりに見た……)  長いまつ毛を閉ざして、安らかに眠る彼は、すごく、すごく、きれいだった。お人形さんみたいなその寝姿を思い出すと、どくん、と胸が高鳴った。え? (おれ……どうしたんだろ……)  思い浮かべるだけで、胸がドキドキする。どうして。彼に関して、こんな気持ちになったことなんてないのに。頭がくらくらする。息がうまくできない。 「……おれ、まだ酔ってんのかな……?」  胸の高鳴りが止まらなくて、おれはどうしたらいいか、さっぱりわからなかった。
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