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しばらく黙ったままだった日下部さんは、「桜ってさ」とやっと声を出した。
何かまずいことをしでかしたかと不安だった俺は少しほっとする。
「春はみんなにちやほやされてるよね。こんな小さな公園にも花見客がやって来るくらい」
でもそれも春だけ、と枯れ木に視線を投じる。
「花が散ってしまうと誰も顧みたりしない。目の前に美しい花があるうちは覚えていてもらえるけど、こうして枯れてしまうと思い出してもらえなくなる……それがね、奏太と重なったんだ。今はまだ思い出してもらえるけど、きっとそのうち忘れられてしまう。だから」
「だから、奏太の格好をしてるのか?」
俺が後を続けると日下部さんは頷いた。
「こうして出歩いていたら、思い出してもらえるんじゃないかって。少しでも奏太に似せようと、明るく振る舞ってみたりした。昼間は内向的で目立たない日下部加奈子、夜は明るい日下部奏太。私はね、奏太みたいになりたかった。私ならたとえいなくなってもすぐに慣れてしまうけど、奏太はきっといつまでも忘れられないだろうって。でも、この桜を見て違う気がしてきたの」
日下部さんは膝で頬杖をつく。
「本当は私が死んだ方が良かったんじゃないかって思ってた」
彼女の台詞にそんな、とつい強い口調になってしまった。
「そんなこと言うもんじゃないよ」
「優しいね。でもね、夜に徘徊していて会った人は、みんな私のこと奏太だって勘違いした。それだけ奏太の方がみんなの中で濃いんだよ。君だけ、私だって気付いたのは」
溜息をこぼすように、嬉しかったよと彼女は言った。
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