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「パパー!!」
「うぇっ!?」
バイトからの帰り道、眠い目を擦りながらマンションに入ろうとしていた俺の背後に突然衝撃が走った。
驚いて振り返ると、小さなガキンチョが俺にしっかりとしがみついている。
こいつ、どっから湧いて出た!?
「パパ、おかえり!」
「ちょっと待て!」
このガキンチョは明らかに誤解をしている。何故なら、俺はまだ二十歳の大学生だからだ。いや、二十歳でもガキンチョがいるヤツはいるか。ならば。
「お前いくつだ?」
「ボクの年忘れちゃった? 五歳だよ!」
「五歳……」
逆算すると、こいつは俺が十五の時の子ども……なわけあるかっ!!
十五歳で子どもが生まれるためには、少なくともその一年くらい前には仕込みを……って! 考えるまでもない。そんなことはありえない!!
「あのな、俺はお前のパパじゃない」
「なんで?」
「なんでもクソもねぇ、俺はまだ二十歳だよ。こんなデカイガキンチョがいるわけないし、心当たりも当然ねえ!」
「でもパパだもん!」
ガキンチョはうるっと瞳を潤ませる。
ヤバイ、泣き出すと面倒だ。ったく、なんでこんな時間にガキが一人でこんなところにいるんだ。親はどうした、親は!?
俺は辺りを見回すが、人の気配などない。そりゃそうだ、部屋の明かりさえ消えているような時間だ。
「お前、どこにいたんだ?」
「あそこ」
マンションに入る前に通路があり、そこに植え込みがある。ガキはそこを指差していた。
「いつから?」
「わかんない。でも、まだ真っ暗じゃなかった」
「はぁ!?」
真っ暗じゃなかったなら夕方頃か? 何時間こいつはここにいたっていうんだ。
「ずっとあそこにいたのか?」
ガキはコクリと頷く。俺は頭を抱えたくなった。
植え込みにこいつがずっといたとしよう。夕方頃にマンションの入口付近を通った大人はそれなりにいるはずで、全員がこいつを見逃したとは思えない。
「誰かお前に声をかけなかったのか?」
「うん」
俺は思わずその場にしゃがみこんでしまった。
だってそうだろ? こんな小さな子どもが一人でこんなところにいるんだ。気付いた誰か一人でも、こいつに声をかけてやってもよくないか?
俺は世間の冷たさに軽く絶望し、ガキと目線を合わせた。ガキはこんな時間になるまでたった一人でいたというのにケロリとしている。肝の据わったヤツだ。
「お前、名前は?」
「ユウ!」
「ユウか。苗字は?」
「苗字……?」
「あぁ、えっと……俺の名前は須藤将生だ」
「スドー! うん、ボクも!」
「はぁ!? ちげぇよ! お前の苗字を教えろって言ってんの!」
「だーかーらぁ、ボクもスドー」
「……」
苗字の意味もわからなかったくせに何言ってやがる。
しかし、これ以上ここでこいつと押し問答をしていても埒が明かない。俺は意を決して立ち上がった。ガキ、ユウは俺を見上げた。
「行くぞ」
「どこへ? パパのお家?」
「だーかーらぁ、俺はお前のパパじゃない!」
「ねぇ……どこ行くの? ママもいないし、ボク怖い……」
ユウが急に心細そうに眉を顰め、俺を必死な形相で見上げてくる。俺は思わず顔を背けた。
こんな顔をされると、無気力無感動に何となく生きている俺でさえ、ほんの少し胸が痛くなる。
だがこいつをこのまま放っておくことはできないし、何をどう考えても一択しかないだろう? そう、もちろん交番へ行くのだ。それしかない。
「お前、迷子か。なら交番に連れてってやるから安心しろ。ママにもすぐ会えるさ」
「やだっ!」
「やだじゃねぇ。交番……あー、えっと、おまわりさんだ。おまわりさんは正義の味方なんだぞ。おまわりさんのところへ行けば、きっとお前を助けてくれるから」
「やだ! パパがいるのにどうしておまわりさんのとこ行かなきゃいけないのっ」
ユウの顔がグシャリと歪む。あぁ、泣いちまう!
「うぁ……」
「わかった!! わかったから泣くな!」
「うっうぇっ……」
泣くなと言ったからか、ユウは何とか我慢をして大声で泣き出すのを堪える。だが、その大きな瞳からはポロポロと雫が零れ落ちてくる。
俺は溜息をつき、ハンカチなど気の利いたものは持っていないので服の袖でユウの涙を拭ってやる。すると、ユウは嬉しそうにニコッと笑った。
「パパ!」
ユウは俺に抱きついてくる。仕方がないのでそのまま受けとめてやる。いくら何でもここでスルーなんかしたら人間じゃない。
「クソッ……。仕方ねぇな……」
「パパ?」
可愛らしく小首を傾げるユウを見つめ、俺は盛大に溜息をついた。スマホで時間を確認すると、もう深夜一時になろうとしている。
「おい、今日だけは仕方ねぇから泊めてやる」
「お泊り?」
「そうだよ。でも、明日になったらおまわりさんのところへ行くからな!」
「わーい、パパとお泊り!」
こいつ、自分に都合悪いことは聞いてねぇな?
とんでもない厄介事を背負いこむことになったが、たった一晩ならなんてことはないだろう。俺はユウの手を引いて自分の部屋へ連れて行った。
たった一晩──。
だが、そんな俺の目論見が見事裏切られることになろうとは、その時の俺には知る由もなかった。
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