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「わたしは魔法使いです。力を貸しなさい」  一学期最後の日、その帰り道。不意にそう声を掛けられて振り向かずにいられる人が、世の中にどれだけいるだろうか。少なくとも、僕には無理だった。 「力を貸しなさい、明坂(あけさか)透依(とうい)」  名前を呼ばれた。まだ名乗ってもいないのに。  魔法使いを自称していたのは同年代の女子。とんがり帽子や黒いローブなどといういかにもな衣装ではなく、淡いブルーのワンピースをまとっている。この田舎町では少々目立つ格好だけれど、特別派手というわけでもない、いわば普通の服装だった。  心を落ち着けて、女の子の顔を見やる。気の強さが滲み出る、凛とした眼差し。肩まである黒髪は風に揺られてはためき、その物々しさを演出していた。 「これは脅迫です」  簡潔なメッセージだ。簡潔すぎて何かの冗談みたいになっている。  要するに、この女の子は僕に選択の余地を与えていないのだ。魔法使いであるという立場を示し、名前を看破することでその力を証し、脅しと伝えて実力行使も辞さない構えを表している。  まるで銀行強盗みたいだ、とのんびり考えている場合ではなかった。 「ねえ。さっきからどうして黙ってるの?」  と、魔法使いが言った。最初の厳かな声よりも年相応に近づいたような声だった。 「驚いて声も出せない? それとも理解が追いつかなくて固まってる?」 「どちらかといえば、後者のほう」 「そこは前者と言ってほしかったかな」  にこり、と魔法使いは笑う。  この状況はなんなのだろう。唐突な魔法使いの登場に、僕は心を乱されているはずだった。なのに頭の芯はすごく冷静で、こうなることを予期していたかのように次の言葉が自然に出た。 「きみは、悪い魔法使いなのか?」 「そうだよ。だからあなたを脅してる」 「きみの目的は?」 「魔力が欲しいの。ちょっと大きな魔法を使ったせいで手持ちが枯れてしまって」 「どうして魔力が必要?」 「このまま魔力が尽きると、わたしは死んでしまう」 「それは大変だ」  事は思ったより急を要するようだった。僕が彼女に力を貸さなければ、彼女は死ぬ。 「わかった。僕は何をすればいい?」 「え」  魔法使いは困惑したような顔をした。最初から脅しを掛けてきたあたり、素直に従ってもらえるのは想定していなかったらしい。数秒ほど目を泳がせたあと、小さく咳払いをする。 「あなたには、わたしとの思い出を作ってもらいます」 「思い出?」 「そう。この夏、わたしはあなたと一緒にいろんな経験をするんです。その経験が何らかの意味を持てば持つほど、わたしは多くの魔力を取り戻すことができる」  思い出を糧に充填される魔力。  それは確かに、悪い魔法使いらしいと思えた。 「もう一度言うけど、これは脅迫です。あなたがわたしの要望に応えられないようであれば、いつでも簡単に見限られると覚えておいて」 「その場合、僕のほうが死ぬのかな」  魔法使いは何も答えなかった。言っている意味がわからないとでもいうように、小さく首をかしげる。 「どうしてそういう話になるの?」 「いや、だって脅すっていうなら命を取られるのかと」 「毎晩嫌な夢を見せるくらいはするかもね」  思っていたより地味な脅しだった。 「だけど、命までは取らない。死にたくない気持ちは、よくわかるもの」  死に瀕している人が言うとさすがに説得力があった。いよいよ悪い魔法使いらしくなくなってきたけれど、本人は至って澄まし顔だ。  どこまで信じるべきなのだろうか。悪いかどうかはともかく、魔法使いであることは個人的には疑いたくない。前々から魔法があったらいいのにとは思っていたからだ。ここで彼女の言うことを虚言だと切り捨ててしまったら、もう二度と魔法の存在を期待してはいけないような気がした。  再び魔法使いと目線を合わせる。彼女の瞳は夕陽を吸い込んだみたいに橙色に光って見えた。 「このままだと死ぬ、っていうのは本当なんだな?」 「はい」 「それなら僕は、脅されてみることにする」  もちろん嫌な夢を見たくないからじゃない。脅迫に屈したからでもない。  僕は出会ったばかりのこの子の命を、純粋に助けたいと思っていた。 「もう知っているみたいだけど、自己紹介。僕は明坂透依」 「わたしは西森(にしもり)紗弓(さゆみ)。よろしくね、透依」 「よろしく」  彼女の差し出した手を握る。病人のように白い肌。触れると不安になるくらいに冷たい温度が伝う。  この子は悪い魔法使いじゃない。  だから僕は、彼女を信じてみようと思ったんだ。
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