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 怜治、晴と別れた僕は真っ直ぐ家に帰らず、住宅街の近くにある公園へと向かった。中央にカラフルな強化プラスチックの遊具があって、小学校低学年くらいの子どもたちが楽しそうに遊んでいる。奥のほうにあるブランコでは、幼い姉妹が代わりばんこに乗ったり背中を押したりしていた。  公園の敷地に入り、ブランコとは対角の位置にある屋根付きベンチへと歩く。ちょうど柱の陰になる場所に、彼女の姿はあった。 「こんにちは、魔法使いさん」  紗弓はこちらを振り向くと、重たげなまぶたを指で擦った。 「こんにちは。予定の時間より随分と早いね」 「きみこそ、まだ来てないだろうと思ってた」 「他にやることもないから」  紗弓に促され、彼女の隣に座る。体感温度が僅かに下がった気がした。  あらためて彼女を見る。その容貌からして昨日の夕刻に出会ったのと同一人物であることは間違いない。ただし瞳の色は夕陽を閉じ込めた橙ではなく、深い黒。 「何」 「いや、替え玉じゃないかと気になって」 「それをしてわたしになんの得があるわけ?」  寝起きらしく非常に機嫌が悪そうだった。早く来たのは失敗だったらしい。  しかし予想できるはずもない。こんな人目につきにくい所で高校生くらいの女の子が眠っているなんて、無防備が過ぎるし。そっちの意味では早く来ておいてよかったと思えなくもなかった。 「今日はどうして制服?」  たいして興味もなさそうに紗弓が訊いてきた。 「図書館で宿題をやってたんだよ。クラスメイトと」 「平瀬晴と笠井怜治」  唐突に言い当てられ、思わず目を見開いてしまう。紗弓は眉をひそめ、ふいっと視線を逸らした。 「魔法であなたの頭の中を覗いただけ」 「心臓に悪いからやめてくれないかな」 「やだ。わたしは悪い魔法使い」  それは悪いというより子どもっぽいのでは。 「二人とはとっても仲が良いみたいだね」 「まあ、良い友達だよ」 「ふうん」  魔法使いの表情が、少しだけ翳る。  思い出を作ってもらいます、と紗弓は言った。魔法使いの観点からすれば、それは失った魔力を補うための行為に過ぎない。けれどただの人間の観点に置き換えれば、どんなに些細だとしても自分のいないところで他の人と思い出が作られていることに、多少なりとも寂しさを感じるかもしれない。  子どもっぽいと言えばそれまでだ。でも、僕はあまり彼女のそういった顔を見たいとは思えなかった。 「今度、きみを二人に紹介したい」 「いいよ別に、そんなの」  僕の提案に紗弓は表情を硬くする。構わず続けた。 「思い出作りに協力してくれるって。僕一人より三人のほうがいいだろ?」 「……人を増やしたからって溜まる魔力は三倍にはならないよ。わたし自身がその思い出をどう意味づけるのかだけが重要なんだから」 「だとしても、人がいっぱいいたほうが楽しい」 「子どもの発想だね」  きみに言われたくはない。  でも実際問題、紗弓に僕がひとりで提供できる経験なんてたかが知れている。他の人の手を借りるのは彼女を助けるためにも取るべき手段だと考えていた。  紗弓はいったい、何が嫌なのだろう。 「もしかして、信じてもらえないと思ってる?」  急に紗弓の眼差しが鋭くなった。図星なのか、さらに機嫌を損ねたか。 「大丈夫だよ。思い出作りの相談はしたけど魔法のことは何も言ってない。二人には僕が思い出を欲しがっているってことにしてあるから――」 「そういうことじゃない」  紗弓は下から睨みつけるようにして僕に迫る。今にも胸ぐらを掴まれてしまいそうな、近すぎる距離からの威圧。 「信じてもらえないほうが自然なんだよ。だから魔法のことなんて話さないのが当たり前。おかしいのは、あなたが二人を巻き込んだこと。あなたが馬鹿みたいに魔法を信じて疑わないこと」 「馬鹿とか言うなって」 「馬鹿だよ。あなたはここに来た時点で、馬鹿確定」 「……じゃあ馬鹿でいいけどさ、きみはどうなんだよ。僕が魔法を信じないなら、きみの命はこれまでなんだろ? なのにきみの言ってることは支離滅裂だ」 「それは」  紗弓の呼吸が止まる。それを肌で感じるほどに、彼女の顔はすぐ傍まで接近していた。そのことに気づいた紗弓が、僕から露骨に距離を取るまでに数秒かかった。  今にも泣きそうな顔だった。自分の命がかかっているのだから切実なのは当然だ。でもおかしなことに、彼女は僕の行動を歓迎していないように見える。まるで自分の命はそれほど重要じゃないみたいに―― 「魔法を疑わないあなたを、わたしは信用できない」  すっと表情が変わり、宇宙人を見るような目が向けられる。 「わたしからすれば、あなたは都合が良すぎるの。簡単に魔法を信じて、出会ったばかりの自称魔法使いに従っちゃうくらい純粋無垢な高校生なんて、今時どこを探してもいないでしょう」 「確かにそうかもしれない」 「だから何か、根拠を見せて。あなたが魔法を信じる理由」  ああ、そんなことか。  それなら僕は、ひとつ答えを持っている。 「魔法が存在するって、誰かに言ってほしかったんだ。だから信じる」 「……それだけ?」 「それだけ」  紗弓は唖然としていた。言葉にならない、そういう顔をしていた。  けれど本当に、それだけなのだ。  もしも魔法があったなら、科学では手の付けようのない問題を解決できるかもしれない。日常の何気ない風景に、人智の及ばない神秘が潜んでいるのではないかと期待できるかもしれない。本来意味のないものに、新しく意味を見いだせるかもしれない。昨日の嘘が、今日は本当になっているかもしれない。  これは下心だ。世界に魔法が在ってほしいという、僕の願望。  その証が得られるというのなら、僕はいくらでも純粋無垢のふりをする。 「そんなもの、なのかもね」  ぼそりと紗弓はつぶやく。その声色にさっきほどの怪訝さはなかった。 「これできみのためだーとか言ったら、この場で三十代までに髪の毛が全部抜ける呪いをかけるところだった」 「さらっと恐ろしい呪いをかけようとするな」 「でも、その必要はなさそう。当面の間はね」  魔法使いらしく、ミステリアスな笑みを浮かべる紗弓。それを見て僕も胸を撫で下ろした。  脅し脅されるこの関係は、ひとまず継続できるらしい。
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