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サンスベリアは尖った葉が特徴的で、部屋も洒落た感じになる。これは数年前、私が選んで注文し、購入したものだったが、その際には隼人に何度か相談して、その都度確認を取っていた。たぶん、二人で迎えた――という事実が、私は欲しかったのだと思う。
ただし残念なことに、このサンスベリアは私と隼人を繋げてくれるかすがいにはなってくれなかった。サンスベリアを可愛がっているのも、興味があるのも私だけだ。隼人は観葉植物にはさほど興味がないらしい。これを初めて買ってきた日、彼は「花は咲くのか」とまず、私に訊ねた。
「花は咲かないみたい。でもね、これを部屋に置くと幸せが来るんだって」
私はそう答えた。サンスベリアにはそういうジンクスがあって、寧ろ私はそのジンクスに惹かれた――といってもよかった。しかし、彼の答えはこうだった。
「花も咲かないのに育てて面白いのか? 花が咲かないってことは実もならないんだろ」
眉をひん曲げて、首を傾げて、とても理解できない――と言わんばかりの表情を、彼はした。ジンクスの話など、たぶん聞いてはいなかった。
「……ごめん、好きじゃなかった?」
「好きかどうか、というより、興味がないかな。どうでもいいけど、買ったなら枯らすなよ」
興味がない。どうでもいい。隼人はそう言って気怠そうにネクタイを解き、ワイシャツを脱いだ。私はもう何年も触れていない彼の肌があらわになって、あっという間に部屋着に隠されていくのを眺めながら、「わかった」と一言、返事をする。何も感じない。いや、感じないフリをした。そういうやり取りにももう慣れっこだった。
キッチンで夕飯を作りながら、サンスベリアを眺める。この子も私と同じ、一人ぼっちなのだと思うと少しだけ強くなれる気がしていた。「君は一人ぼっちじゃない、おれがいるからね」と、心の中でいつも声をかける。けれど相変わらず寂しさは消えない。なぜか視界がぼやけて、私は慌てて目元を拭う。
近頃、心が不健康だと感じるのは、一人でいるときの方が楽な事だった。いや、楽――というよりも、一人でいるときの方が不思議と孤独を感じないのだ。誰もいないのなら一人なのも、孤独感を感じるのも納得がいくし、さほど辛くもない。当たり前だと割り切れる。けれど、二人で――しかも隼人と一緒にいるのに、猛烈な孤独感と寂しさを感じるのは、やはり異常だ。ただ、それがわかっていても、私にはもうこの関係を改善する術は見つけられない。
私と隼人は職場恋愛で結婚して、十年になる。結婚と言っても同性なので、一般的な婚姻関係とは違い、どちらか一方の名前が変わったりすることはないわけだが、互いの家族や友人達にも認められ、祝福を受けた幸せな同性カップルだった。元々は、異性愛者だった隼人を好きになった私の猛アプローチから始まった恋だったが、隼人は私の想いに応えてくれて、しかも永遠の愛を誓ってくれたのである。
世間にどれほどいるかわからない同性愛者の中で、パートナーとめでたく結ばれる人間は決して多くはない。それを思えば私は、自分が本当に幸せ者なのだと信じることができた。当時、それはもう確信ですらあった。
私と隼人は隣町の公立中学校に勤務していた。私は事務員、彼は教師。校内では顔を合わせることも少なかったが、パートナーと同じ職場というだけで毎日の仕事は楽しかった。隼人には仕事の愚痴を言うことも、相談をすることもできて、私達は戦友でも親友でもある、仲睦まじい夫婦だった。
ところが、いつからか――。私と隼人の関係は変わってしまった。夜、ベッドへ入っても、隼人が私を求めることは一切なくなり、彼を求めても拒絶される毎日が続いた。そのきっかけが何だったのか。はじめはわからなかったが、のちに彼が頻繁に風俗遊びをしていることを、余計なお世話で職場の同僚がご丁寧に教えてくれた。もっとも彼は異性愛者だし、風俗遊びが悪いとも言えない。女性と戯れたいと思うことも時にはあるのだろう。しかし、私を拒絶した上でそれを聞いた時は、さすがにショックが大きかった。
私はそれ以降、彼に求めることもなくなり、淡々と暮らしている。だが、夫婦というものは恐らくこういうものなのだろう。同じ屋根の下に暮らせば家族になるのだから、いつまでも恋人のように暮らせるはずがない。時々誰かに目移りをしたり、喧嘩をして嫌気が差したり、そんなことを乗り越えながら、だんだんと歳を重ね、熟年カップルになっていくに違いない。それは男女問わずそうなのだ。私はどこかでそう諦めながら、明らかに帰りの時刻が遅くなった隼人がどこで何をしていたのかを悶々と想像しては、決まって落胆した。
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