1章

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* * *  実結がしらなみ薬局を退職したのは2ヶ月前、2016年3月のことだった。  名目上は自主退職になっているが、実質的には解雇(くび)だったと実結は思っている。  しらなみ薬局は関東近郊にチェーン展開する調剤薬局で、実結は今から一年前の4月に新卒薬剤師として働き始めた。  しかし、患者が押し寄せるピーク時には殺伐とした雰囲気となる調剤薬局に、実結はどうしても馴染めなかったのだ。  そのうち他のスタッフからも『使えない』『トロい』などと陰口を叩かれるようになり、いたたまれなくなって退職願を出したのが年明けの2月。その後引き止められることも無く僅かな有給を消化して正式に退職したものの、実結は再就職先を見つけることができなかった。  中途採用の試験は何軒か受けたのだが、面接で落とされてしまうのだ。やはり最初に勤めた薬局を1年も経たずに、しかも仕事についていけないという理由で辞めてしまうような子を雇いたいと思ってくれる会社はどこにも無い。  そんなところへ手を差し伸べてくれたのが、実結の祖父である立花善六だった。  今はもう現役を退いているものの、医者として顔の広い祖父は孫娘のために知り合いの病院に声をかけてくれ、そのおかげで実結はゴールデンウィーク明けの今日から御影病院の薬剤部で働くことに決まったのだった。  御影病院は東京の都心から電車に乗って約一時間、府中市郊外の住宅地に建っている私立病院だ。年季の入った五階建ての建物は、外装に灰白色のタイルが張り付けられているのが特徴的。最寄り駅からは少し離れたところにあるものの幹線道路に面しており、長年親しんだ地元の高齢者らが主に通って来てくれている。  病床数は120。診療科は内科、外科、整形外科、泌尿器科、眼科、皮膚科だが、そのうち眼科と皮膚科は外部から非常勤の先生がやってきて、週に一度の診察となっている。  院長は病院名の通り御影昭房(あきふさ)医師で、善六はこの昭房氏と面識があったので実結の就職を依頼することができたそうだ。  もちろん実結が面接も試験も何もなしで採用されたことは院内の誰も、直属の上司に当たる薬剤部長ですら知らない。  だから出勤初日、実結が病院受付のすぐ脇にある薬剤部へ顔を出して挨拶すると、四人いたスタッフからは季節はずれの新人さんへ、好奇の目が向けられたのだった。
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