1章

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「随分若いわねぇ。何歳よ?」  真っ先に身を乗り出して質問してきたのは、五島(ごとう)世津子(せつこ)という50代のおばさんだった。化粧っけが薄くて、目尻にきつい皺が刻み込まれており、前髪には白いものがたくさん混ざっている。  彼女は薬剤師ではなく、無資格の調剤補助員だそう。だから調剤室の中で彼女だけが丈の長い白衣ではなく、医事課スタッフと同じ、スカートにベストという制服を着ている。 「25です」  実結が答えると彼女は「若っ!」と悲鳴を上げた。自分の半分くらいの歳だったのだろう。 「でも中途採用ってことは、他でも働いてたってことよね? 何やってたの?」 「前は調剤薬局で働いていました」  実結が答えると、世津子は呆れたように声を裏返した。 「あなた、声ちっちゃいわねぇ。それが地声?」 「はい……」  世津子が眉をひそめるから、実結は反射的に俯いてしまったが、自分の声が嫌われる理由はよく分かっている。  声は大きくてはきはきしているのが一番良いのだ。  それなのに実結ときたら理想には程遠い声質の持ち主で、この細くて高い声はどこへ行っても敬遠される。 「そんな通らない声でよく今まで働けたわね」 「はい……」 「うちの患者も耳の遠いご老人が多いんだから声が小さいのは困るわよ。もっとお腹から声出してちょうだいよ」  そう言うと、世津子は実結のみぞおち辺りを平手で叩いてきた。  初対面の人にここまでされるのには実結も驚いてしまったが、この声の小ささについて説教されるのは日常茶飯事だ。  でも、どれだけ怒られても実結の声は大きくならない。そういう風にできている。  実結が世津子の馴れ馴れしさにどう対応していいのか戸惑っていると、調剤室にいたもう一人の女性薬剤師が話に加わってきた。  世津子よりは一回り程若そうに見える彼女は名前を古藤(ことう)睦子(むつこ)という。パート薬剤師とのことだった。  睦子は訳知り顔でニヤニヤ笑い浮かべている。   「ははーん、分かった。それ、男受け狙ってるんでしょ」 「え?」  あまりに意外すぎる指摘。実結は目が点になってしまったが、睦子はにやけ笑みを崩さなかった。 「でも残念ながら、ここにイイ男はいないわよ。そもそも若手が少ないんだけど、その中でも副院長の昭司先生は結婚しているから論外だし、内科の小田桐先生は理屈っぽくて面倒くさいし、放射線技師の左掘(さほり)くんはまさにサボリ君でろくに働かないし。唯一整形外科の林先生は見た目だけまぁまぁカッコいいけど、性格が熱すぎるっていうかケチ臭いっていうか……ねぇ?」  睦子は最後の一言だけ、世津子と顔を見合わせ、二人で声をハモらせた。  事情を知っている者同士だけで通じ合う、いやらしい笑い方は鼻につくが、そんな感想は新参者の分際でおくびにも出せるわけが無い。 「男受けとか、そんなつもりは全然無いです」  とりあえずその点だけは断固として否定しなければと思ったのに、睦子は持論を取り下げる気なんてなさそうだった。  分厚めの唇に人差し指を当て、値踏みするように実結をじろじろと見つめる。 「えー、でもそういうカワイイ喋り方されると、男ってすぐにコロっといくじゃない」 「そんなことないですよ」 「なんでよ。立花先生って小柄だし、顔も可愛いし、色白だし、男の庇護欲をくすぐるタイプで、絶対モテると思うんだけどなぁ」  男受けに対してやたらとこだわる睦子だが、よく見てみると彼女自身が艶っぽい雰囲気を漂わせた女性だった。  どこが、と説明するのは難しいのだけれど、グロスで光る唇も、豊満さを強調するように寄せて上げている胸部も、しなを作ったようなわざとらしい体の捻り方も、それこそ男受けを狙っているかのように見える。  彼女自身は夫と小さい子どもがいるそうで、今更誰かにモテる必要は無いと思うのだが、それでも女を忘れたわけじゃないってことなんだろう、きっと。
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