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リンデンバウムの領主リューン
「ローウェン、ローウェンはいるか」
足を踏み鳴らしながら、リューン領主が声を上げた。
大声を張ってはいるが、その声はどんな時でも、落ち着きの気色を含んでいる。この時代、横暴で粗野な領主が多い中、城の者たちはこのリンデンバウム城の若い領主に対して、その点では安心していたことだろう。
「ローウェン」
この城の執事であるローウェンは、身体が自然に動くのに身を任せながら、あてがわれている執事室を出た。廊下の突き当たりまで歩くと、飾り彫で彩られた豪奢なドアを、二度ノックする。
「ローウェンでございます」
入れ、と、くぐもった声がした。分厚く重いドアのノブに手を掛ける。力を込めて、ドアを開けた。
このように分厚いドアで遮られているにもかかわらず、しかも長い廊下によって離たれているこのリューン領主の執務室の中から、ローウェンの名を呼ぶだけで声が届くのにはひとつ、理由があった。
リューンは、『名を握る領主』として有名だった。
人の名前をまずは自分の口から言葉に出し、そして手の中へと握り込みそれを再度、口の中へと放り込み飲み込む。すると、その人間は領主の言うことならどのようなことでもきく、忠実なしもべとなる。
その力は名を握られた本人の、拒絶しようとする意思すら奪う。あとは領主がその者の名を呼び、命令するだけでいい。
一度名を握られると、もう二度とこの城からは出られない。
それは、ここワグナ国で広がっている噂話のひとつであった。が、それはあながち嘘ではない、ということになる。
(こんな夜に、何の用だろうか)
不思議に思いながら、中へと入った。リューンはなにか書き物をしているようだ。
ローウェンは、ゆるくウェーブのかかっている黒髪を手で少し整えると、その手を前で重ねてドアの横に立ち、声が掛かるのを待った。
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