秘密

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雨の匂い。音、濡れて反射する路面。 透明のビニール傘をさして足音と雨の音を重ねる。笹田は自由が丘に来ていた。 立地に似合った上品な飲み屋街を抜けて、道なりにしばらく歩くと、閑静な住宅街にさしかかる。 なんで俺がこんなこと。笹田が一番強く思っている事だった。 1週間前、赤川から入れ替わって欲しいと連絡を受けた。なにかの冗談にしても、承諾するはずのない用件だった。 あまりの不自然さに言葉に詰まっていると、赤川から覚悟が決まったらこの場所に来てくれと苛立った様子で一方的につげられ電話がきれた。 電話が切れた直後は赤川の勝手さに携帯を投げ出しそうにもなった。 来るつもりもなかった。 だが、時間がたち、冷静に考えると赤川の様子は確かにおかしかった。余裕がなく、気が動転しているようにも思える。 赤川に指示された場所にたどり着いた。 閑静な住宅街の端にある5階立てのマンションだ。 受付がありホテルのフロントのようになっている。警備員もいてオートロックでセキュリティもしっかりしている。 家族や独り暮らしの女性が好みそうな物件の印象を受けた。 着いてから時間の指定がないことに気がつく。昼間と言われただけで、何時なのかはわからない。笹田が思っている昼間と赤川の昼間の感覚が一緒なことを願うしかなかった。 12時から30分が過ぎたところで笹田は来たことを後悔しはじめていた。 もう帰ろうかと思った時だった。笹田の後ろで「すみません」と女性の声がした。 振り返ると女性というよりは少女だった。まだ高校生くらいだろうかと幼さの残る顔をまじまじと見つめた。 少し明るい髪に高く綺麗な鼻筋、日本美人というよりは欧米風の顔立ちをしている。 雨の日に見とれるには充分だ。 「なんでしょう?」と笹田は紳士を装って答える。そういってから、こんな女子高生にすら綺麗だとよくみられようとするのかと自分自身に呆れた。これが男のさがかもしれないと諦める。 「ここになにかようですか?」 しまったと笹田は思った。このマンションの住人だとしたらその前で1時間近くウロウロしている自分を怪しんでも仕方ない。 「あ、ごめんね。もうすぐ帰るから。信じてもらえないかもしれないけど、怪しい者じゃないんだ。今ここで人と待ち合わせをしててね。待ちぼうけを食らってるとこなんだよ」 言い訳がましくそう言うと、「そうなんですね」と視線をマンションに向けた。 「私は、ここの住人に用があるんですけど、部屋をしらなくて」 「知らないって、それじゃあ……」 笹田は話しながら女の子の顔に見覚えがあることに気がつき「あっ」と口から出てしまった。 この前の事件現場にいた子かもしれないと、記憶を辿りながら苦しまぎれに話題をかえた。 「君、学生だよね? 友達と遊ぶ約束してたのかい? 電話は? してみた?」 じろっと鋭く睨まれ言葉に詰まる。 「友達なんてもういない。奪われたから」 「奪われたって…… 誰に?」 恐る恐る笹田は聞いた。 「おじさんアリとキリギリスの話し知ってる?」 「あぁ、知ってるよ。それが?」 「アリはね、最初からキリギリスの事なんて意識してなかった。意識してたのはキリギリスだけで、アリからすれば目障りでしかないと思うの」 「ハハハ、そうかもな。でもそのせいでキリギリスは最後罰ともいえるような苦痛を受けたろ?」 「足りないよ……」 「え?………」 「こっちは真面目に生活してただけなのに……。邪魔するどころか、お父さんを殺してお金を盗んだ犯人はまだのうのうと生きてる」 笹田は背筋が冷やりと冷たくなるのを感じる。 「じゃあ君は何を望むんだ?」 「犯人の苦痛と死。それ意外はもうなにもいらない」 「もしかして君が用があるここのマンションって」 「そう、ここは犯人の家族が住んでる家なの。おじさん、色々話しちゃったけどこの話は忘れて」 この家をどうやって調べたのかわからないが彼女は確かにそう言った。 笹田は彼女がこれからやろうとしてることを察してぞっとした。 「君の気持ちはわかる。でもやめるんだ」 「わかる? なんで? わかってたら止めたりしない。私は家族をとられた。報いは必ず受けさせる」 「そんなことしても、気は晴れない」 「そんなの関係ない」 「なにするか知らないが、復讐なんてしても幸せにはならない、むしろもっと辛くなるだけだ」 「幸せ? なにそれ?」 「君がこれから経験することさ。君は今が人生のどん底だ。君にはこれから良いことが沢山待っている。復讐なんてしたらその良いことすら来なくなってしまう」 「おじさん、なんか、宗教っぽいね。 幸せなんてもういいよ。警察に通報するならすればいい」 女の子はマンションに入りそうな、男を見つけると、話しかけようとその男に近づき「ねぇ、おじさん」と話しかけた。 「私ここのマンションで友達約束してるんだけどオートロックがあかなくて」 と言うと男は彼女の容姿をみて警戒する様子もなく「じゃあ、今開けてあげる」と中へ遠そうとする。 「待ってくれ!」と笹田は声を張り上げる。 男は目を丸くして笹田を見た。 笹田に対しては明らかに怪しんでもいる。 「なんですか?」男が眉をひそめて笹田にきく。 「いや、この子は俺の知り合いなんだ」 「え?」 男が彼女の方を見ると、首を横に振っている。 「違うって言ってますけど……」 男の笹田に対する警戒はますます強まっていく。 「本当なんだ。その子と話しをさせてくれ」そう懇願した。 彼女は「人違いじゃないですか?」といって男に早く中に入るように促す。 「おじさん、寒い。早く中に入りたい」 笹田が近づこうとすると男が前に出た。 腕を彼女の前に出して守っているような仕草をしている。 これじゃあまるでストーカー扱いだと笹田は思った。 「それ以上近づくと警察よびますよ」 「違うんだ」そうぼそりと呟く。 「もう彼女には近づくな。そしてそのまま帰れ」男は完全に笹田の事をストーカーだと認識しているようだった。 彼女と男が笹田を無視してマンションに入ろうとした。 「俺が教えてやる」笹田は彼女を見てそう言った。 彼女の足が止まり目を丸くしている。 男は呆れた様子で携帯をとりだそうとしている。 「俺が君に幸せを教える。それじゃだめか?」 男は携帯を耳にあてどこかに電話をかけている。 警察かもしれない、と笹田は焦る。 彼女は男から携帯を取り上げ電話を切った。 「えっ?」 男は驚いて彼女を見ている。 「ごめんなさい。よくみたら知り合いでした」彼女は笑って男に言うと、男はついていけないと言わんばかりに足早にマンションに入って行った。
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