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美知子と会った翌日の午後7時。
クリスマスを待つ賑やかな人混みとは対象的に静まりかえったワゴン車の中に私はいた。
スモークで窓が黒く染まったワゴン車が明治通りの不自然な位置で路肩に停車している。
外からは見えない暗い空間にこの女といるのはこれで2回目だ。
今回は薬を盛られてないだけマシなのかもしれないと、黒みがかった窓から外を見つめた。
夏蓮は運転席から「ねぇ、なんで呼ばれたかわかる?」と子供を嗜めるかのような口調で言った。
「わ、わからないね」と私がそれに返してから嫌な空気が車内に満ちている。
助手席に座っている私は不気味な沈黙に冷や汗をたらしながら、目だけを運転席に送った。
「お、俺はお前に言われた通りに計画を進めていたんだ。これで問題はないはずだろ?」
そういいながら、昨日の美知子との高揚した一時を思い出していた。
「そうね……、でも私待つのが好きじゃないみたい。だから、あなたを頼るの辞めようかなって思ってるの」
「ここまでさせといて急になんだよ。俺としてもできればやりたくないけど、やらなかったら美知子はお前に殺されるんだろ?」
そういいながら、鼓動は細かく速さを増していた。
「あなたにあの女を不幸にできるとは思えないわ」
細い煙草の先を光らせて、夏蓮はそう言った。ため息混じりの煙が私への失望を運んでいる。
「だから、なんで?」
むきになったように私は言ったが、昨日の私は確かに幸せを感じていた。その様子を見られていたのならそう思われても仕方ないと何処かで納得もしていた。そして私の言葉を憎しみの込めた感情で押し返す。
「なんで? 昨日見たままを言ってるのよ。私にはあなたにできるとは思えない。あまりなめないでくれる?」
「なめてなんていないさ。俺としては…」
夏蓮は私の言葉を待たなかった。
「あなたが殺す?」
「え……」
「あの女をあなたが殺すのよ。そうね、それがいいわ」
夏蓮の狂気すら感じる嬉々とした口調に恐怖を感じた。
震える唇を必死でごまかす。
「な、なに言ってんだよ」
「なにっていいアイディアだと思わない?あなたの信用も取り戻せるし、あの女も好きなあなたに殺されたらさぞ不幸でしょうから」
「おい、それじゃあ。俺がお前に従ってる意味がないだろ。俺は美知子を守るためにやってるんだ」
「あなたが、やらないならどのみち死ぬわよ。あの女。他の女にじわじわと苦しめられて殺されるよりは、好きなあなたにあっさり殺された方がいいんじゃない? まぁ、私はどっちでもいいけど」
「貴様……」
私は運転席へ身を乗りだし、夏蓮の首をつかもうと両腕を伸ばすと冷たい銃口か私の額につけられた。
その瞬間、熱く高ぶった憎しみが嘘のように冷やりと静まった。
「え……」
「どう?びっくりした? 追い詰められたあなたがしそうな事なんてお見通し」
銃と不釣り合いの細い指を引き金にかけて不敵に笑っている。あの指が少し曲がれば、私の全ては終わるのだろう。
ここで死ぬ。それもいいかもしれない。
そう思うと頬が緩み、私は「ふっ……」っと笑っていた。同時に全てを諦めた時、人間は笑えるのだなと感慨深くもなった。
額についた銃口を気にしなくなるのに時間はかからなかった。
どうやら銃を向けられ体が硬直したのは、私の意思ではなく、本能のようなものだった。生命の危機を感じて反射的にそうなっただけなのだろう。
死ぬかもしれない今の状況はそんなに悪くない。それどころか、ここ最近で一番生きている実感がある。
汗水垂らして尽くした会社は倒産し、人生で一番惚れた女には振られ、挙げ句の果てにはスナックで貢いだ女に殺される。これで、そんな馬鹿馬鹿しく滑稽な人生を終わらせることができそうだ。
夏蓮は不思議そうに私を見ていた。
「何がおかしいの? 気でもふれた?」
「死ぬ時くらい笑ったっていいだろ? 夏蓮の好きにしろ。殺すなら殺せ」
開き直ったような私の態度に夏蓮は苛立ちをみせた。
「なにか勘違いしてない? 私は別にあなたを殺す理由はないのよ。ただあの女を不幸にさえしてもらえればいいの」と私にうったえかけるように銃口を私から外した。
「俺にはできない。それに彼女を不幸にするくらいなら死んだほうがマシさ」
「…… そう、じゃあ仕方ないわね。」と言って再び銃口を私に向ける。二度目の銃口は何故か少し震えていた。
「どうした? こわいのか?」
「は? 怖くなんてないわよ」
「そうか? もしかして、夏蓮も本当はこんなことしたくないんじゃないか?」
「うるさい。そうしないと…… あたしだってヤバいのよ…… 」
「え?それってどういう……」
夏蓮の顔はだんだんと余裕を無くし、強張っていた。
「もう死んで……」
その様子から撃たれると思った私は、最後に一つだけといって疑問をなげかけた。
「お前にとって俺は、はじめから美知子を不幸にするための駒でしかなかったのか?」
「そうよ。当然でしょ。あのお店で働いたのもあなたが通ってるって知ったからよ。あの女と関わりがあったから利用させてもらっただけ。それに、あなたのような見栄だけの男なんてたくさんいたわ」
「俺みたいな人か」
夏蓮の言葉に不動産時代に部屋を紹介した客を思いだした。自分のような人を想像するとその男が浮かんでくる。男は私と瓜二つの容姿をしていて、まさに見栄っぱりな所もそっくりだった。そんな事を死ぬ間際に思いだしながら「そうか」と言って目を瞑る。
「さようなら……」
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