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慌ただしく事務所から出た。赤本は街並みを無視するように夢中で歩いていた。後ろを振り返ると不動産屋はもう見えなくなっていた。
道中お互いに会話はなかった。赤本の足取りは速く会話どころではない様子だった。探してる様子もないことから、すでに行き先が決まっているのだろう。
急に赤本の背中が止まった。「あのお店なんだけど」と指さしたお店に笹田の顔がひきつった。何故かタメ口になっている赤本の口調を気にしてられないほど、外観に衝撃をうけた。お店の中からは流行りに敏感そうな若い女性やカップルばかりが出てくる。
初対面の男同士で来るとこではないのは一目瞭然だった。
笹田は思った。もしかして、と。赤本に対して怪しげな不信感が湧きはじめていた。
「実はこのあと彼女がくるかもしれないんだ」と赤本がいうと、笹田はほっと胸を撫で下ろした。怪しげな疑惑はすぐに払拭されたが、疑問は強まった。
「彼女が来るのになんで誘ったんだ?そこまでして契約がほしいのか?」とは聞かずに「大丈夫ですけど、それって僕がいて大丈夫なんですか?」と言葉を選んだ。
「大丈夫、大丈夫。もちろんお金はこっち持ちだから、好きなの食べてよ」
笹田は下に見られてると感じてイラついた。
「え? あ、はぁ」と答えて赤本に続いてお店に入った。
テーブル席とカウンター席が半分半分くらいで、店内はさほど広くはなかった。
客席から区切られたガラスの奥でシェフが腕を奮っている。
赤本は店内を見渡した。
「まだきてないのか」すぐに笹田の方を見て「あそこに座ろうか」と言って奥のテーブル席に向かった。
赤本は座ってすぐにスタッフを呼んだ。まだ日も高いのにビールを頼んでいる。
「お酒飲んで仕事大丈夫なんですか?」と笹田は困惑した様子できいた。
本当なら「この後仕事がないのか?」とききたかった。つまり、仕事がないと長く付き合わされる可能性がある事を恐れて赤本に確認をとっていた。
赤本は質問には答えず黙ったままテーブルの真ん中らへんを見ていた。
一点を見て何か考えて混んでいるようだった。
店員がグラスに注がれたビールを運んでくると、赤本はそれが合図のように口を開いた。
「実は俺、これから彼女にプロポーズしようと思ってるんだ」
笹田は首を傾げたくなるほど、頭の中は疑問で埋め尽くされた。
「え、おめでとうございます。でもなんで僕に?」
ビールを流しこんで、豪快に置いた。
「実はずっと誰かに相談したかったんだけど、この事を話せる人って周りに少なくてさ」
「それなら尚更僕なんかじゃ役不足ですよ。部屋を探しにきただけの無職なんで」
「ハハハ、無職は関係ない。ただ君は俺に似てるんだよ」
おかしな事を言うなと笹田は思った。まるで自分を深く知ったような言いぐさだったからだ。
それでも、奢ってもらう手前それなりに会話を合わせた。
「確かに顔は似てますよね。正直僕も親近感は覚えましたし」
「違う違う、顔だけじゃないんだ。今日君に会って話しをきいて、昔の俺とそっくりだと思ってさ。偉そうに言って気にさわったら申し訳ない」
今日会ったばかりのこの男に自分のなにがわかるんだと不快感は感じたが、不思議と苛立ちはしなかった。
「昔って言ってもつい最近なんだよ。俺も笹田君と同じで、トラブルで前の会社を辞めてるんだ」
「そうだったんですね」と答えると「会社で疎まれてたろ?」と嬉しそうに赤本がきいた。もう営業マンの面影はない。
笹田は苦笑いを浮かべた。思いあたるふしがあった。だが、笹田は口をつぐんで赤本の話しを聞いた。
「会社では上司としょっちゅう喧嘩になってたんだ。こいつらは俺の言ってる事をなんで理解しないんだって思いながらね。
それで後輩にも怖がられてて、結局上から疎まれて追い出される形で会社を辞めたんだ。その時は自分以外を信じられなくてね」
赤本はビールを飲み干すと、「これじゃ彼女が来る前に酔っぱらっちゃうな」と言いながら店員を呼んだ。
赤本は饒舌になって話しを続ける。
「でも、そんなときに彼女と出会って変われたんだ。どうしようもなかった俺を彼女は変えてくれた」
彼女の話しをする赤本の表情は幸せそうな表情だった。笹田はそんな赤本を見て「やっぱり僕と赤本さんは違います。僕はそんないいもんじゃないですよ。単なる酔っぱらいとの喧嘩ですから」というと赤本は「どうかな?君にも大切な人ができたらわかるさ」とからかうような笑顔で言った。
赤本は「ごめん、料理はもう少し待っててくれるか?」と言って携帯を取り出し彼女に電話をかける。
携帯を耳に当てて「あれ?おかしいな」と電話に出ない事を不思議がっていた。
その間、笹田も携帯を開いた。
液晶には新着のニュースが画面に表示されていた。
殺人事件のようだった。犯人はまだ捕まっていない。
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