ちょんまげマーチ

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ちょんまげマーチ

 真夏の黄昏時である。  阿波(あわ)の殿様・蜂須賀(はちすか)様は、徳島城奥御殿の磨き上げられた長いお廊下にて、はてとその尊いお顔をかしげられた。  何故(なにゆえ)このようなものが落ちておる。  そう思われるのも無理はない。殿様のしみひとつない真っ白な足袋のお足元には、一体誰が落としたのやら、黒々としたちょんまげがひとつ、ぽつねんと転がっている。  振り返ってみても、辺りには誰もおらぬ。  阿波藩五代目藩主・蜂須賀(はちすか)綱矩(つなのり)様は、不思議に思いながらもよいしょと屈み、御自(おんみずか)らちょんまげをつまみ上げられた。  (まげ)である。  どこからどう見ても、黒く豊かな髪を結った髷である。それがどうしたことか、根本からスッパリと切り落とされている。  殿様は再び、はてとお首をひねられた。  髷は武士の魂ぞ。  何者かがその魂を切り落とし、わざわざ余の通り道に配置した。奥御殿という場所が場所ゆえに、家臣のうちの誰かの仕業に違いない。  殿様はそうお考えになると、さっと顔色を曇らせた。  戦国の世は終わってから久しいが、さては城内に謀反の兆しありか。  そうお考えになられた殿様は、機敏な動作にてさっと辺りを振り返られた。  しかしやはり、あるのは延々と続く真っ直ぐな廊下のみ。人の気配は、ない。  殿様は(かわや)にて糞をひった帰り道、そういえばここに至るまで誰とも会っていないことを思い出された。  ちょんまげは殿様のお手の中で、こころなしか肩身を狭そうにしている。  謀反。  家臣を疑うは心苦しい限りである。しかしこれでは疑わざるを得ない。  ゆめゆめ寝首をかかれることなどないように、と願いつつ、殿様は髷を御寝間(おねま)へと持ち帰られた。
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