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「しっかし汚い犬っすねえ」
「野良だからこんなもんだろう。元は白なんじゃないかなあ」
ふたりがぼくの容姿を見ながら、あんまり可愛くないっすねとか、でも愛嬌があるだろうとか、このちぎれた尻尾って縄張り争いで負けたんすよとか、事故に巻き込まれたんじゃないかとか、好き勝手に口にする。面白がって想像するのは篠田さん、庇ってくれるのは矢部さんの方だ。
「そろそろ戻りますか」
篠田さんが言った。ふたりは仕事の途中で抜け出してきたらしい。
「はは。かわいいなあ。尻尾振ってこっち見てる」
歩き出した矢部さんが振り返る。ぼくは心の声で「ばいばい」と言う。
「後ろ髪引かれるなあ」
矢部さんは名残惜しげに「ごめんな、また来るからな」と何度も振り返った。
ぼくは首を傾げた。
歩きながら顔だけを後ろに向ける矢部さんは、そのたびにふらっと半歩下がる。篠田さんはさっさと行ってしまったから、照れ笑いをする矢部さんにツッコミをしてあげる人はいない。
会社の敷地内に曲がる寸前、矢部さんがもう一度ぼくを見た。
今すぐにでも走って戻ってきそうな目をしている。
なんだか、
くすぐったいや。
ぼくは、矢部さんが行ってしまっても、その余韻に縛られて少しの間そこでぼんやりしていた。
――あれ、この感覚、どこかで知ってる
ぼくの記憶の箱がかたかたと揺れた。右の耳がぴくっと上がった。どこで、ぼくは似たような気持ちを味わったのかな、どこで……。
でもここまでだった。それ以上はなにも思い出せなかった。
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