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「矢部さんとこ社宅じゃないっすか。無理でしょ、ふつーに」
「かなあ」
「猫ならともかく、犬はバレますよ」
ぼくはふたりを交互に見て会話を聞く。篠田さんは呆れて、矢部さんは悩んでいる。
「だって可哀想じゃないか。これからどんどん寒くなるし」
「あー、今日雨ですよ、夜から」
「げ、ほんとかよ」
「天気予報なんで、当たればのハナシですけどね」
「うーん」
ますます矢部さんが眉を寄せて唸る。目が合うと矢部さんが哀しそうにぼくを見た。
「くうーん」
ぼくは矢部さんの手の甲を必死で舐めた。
大丈夫だよ。
寒いのはへっちゃらなんだ。雨が降ってきても、そうだな――
周囲をきょろきょろと見回す。
雑草だらけの空き地には雨露をしのげる場所はないけれど、ちょっと足をのばせば軒下や灯篭の脇、隙間はどこにでもありそうだ。
「矢部さん、そろそろ昼休み終わりますよ」
「もうそんな時間かよ」
「行きましょ」
篠田さんが立ち上がる。矢部さんの手はぼくからなかなか離れない。篠田さんはもう歩き出している。矢部さんがあきらめて腰を上げた。
「シロ、またな。また来るからな」
「くぅーん」
優しい矢部さんに、別れの挨拶を。
ふたりの背中を見送ってじっとしていたら、ぼくの周りは風の音だけになった。さわさわ。しゅわしゅわしゅ。こととととと。葉っぱの擦れる音、昆虫たちの歩く音、狭い路地を車がゆっくり過ぎる音。
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