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――シロ、さあおいで。ママがね、お庭でなら飼ってもいいって!
この声は誰だろう。小さな女の子の声だ。
――おじさんはひとり暮らしだ。誰に遠慮もいらないぞ。仕事が終わったら連れて帰るからな、シロ
この声は作業服を着た男の人だ。
――シロ、うちに来い。他にも犬がいるんだ、すぐに友達になれるぞ
この声は大学生のお兄ちゃんの声だ。
夢の中かな、それとも記憶の中かな、
とっても優しい、涙が出そうな心強い声がいくつもいくつも重なっていく。
思い出せないけどぼく、これまで幸せだったんだね。きっと。
「――シロ! おーい、シロ!」
ぴく、
耳が、ぼくを必死に呼ぶ声を拾って闇の中で立つ。
すっくとからだを起こして声の方に目を凝らす。傘を差した矢部さんが空き地の中を行ったり来たりしてぼくを探している。
ぼくは飛び出した。
矢部さんに向かって疾風のように駆けていく。
ぼくをみつけた矢部さんも走ってきた。
「わん! わん!」
屈んだ矢部さんの頬を舐めた。矢部さんの冷たい手がぼくのからだを撫でる。深まる秋の夜風が矢部さんの体温を奪っていた。
「明日は絶対連れて帰るからな。一緒に暮らそう。社宅だって構うもんか。だから今日だけ我慢だぞ」
「くぅーん」
ぼくは矢部さんの首に頭を押し付けた。何度も押し付けた。その気持ちがとっても嬉しくて、幸せで。
そして思い出したんだ。
ぼくはもうすぐ矢部さんとお別れだ。
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