一 流星~元親と秀吉

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「さて、何からお話致しましょうか---。」  元親は、ゆるゆると弦を震わせながら、言った。  秀吉は、椅子にもたれ、片手で白くなりかかった髯を撫でながら応えた。  「そうじゃな---。光秀殿は、どんな夢を見ておったのじゃ?---そなたとは、いつ出会うた?---殿のお側に仕えることになった頃には、光秀殿ははや四十に手が届く歳になっておったゆえ---才があるのは、確かだったが、知らぬ事も多い。わしには、腹の裡を明かしてくれはせんかったしな---。」  ふふ---と小さく元親は笑った。  「あの方は、誰にも、お心うちはお見せにならなかったでしょう。無論、信長さまは、見抜いておいでではありましたでしょうが---」  ぴくりと、秀吉の眉が、動いた。  「元親、勿体ぶらんで早ぅ話せ。---光秀殿は、何故、大殿に刃を向けた。」  「急かされますな---。」  元親はまた、風の行方をまさぐるように眼差しを彼方に投げた。  「光秀殿の真のお名は---進士彦太郎光秀殿---。」  「しんし---?」  「左様、御所の供御方のお家のお生まれでございます。」  「御所---というと、足利将軍の直臣であったというのか。」  「左様にございます。」  光秀が生まれた頃、将軍足利義晴と執政の細川家、その被官、三好長慶と厳しく対立し、畿内は争乱の最中にあった。  光秀の叔父、進士賢光が三好長慶の暗殺に失敗し、一族に累が及ぶのを怖れた父、光綱は子らとともに京を出て、美濃の遠縁のもとに身を隠した---という。  明智---というのは、土岐氏の傍流でもある遠縁の名である、という。  「その後---義晴様が近江の朽木谷にお逃れになったことを知った光綱殿は、光秀殿と共に朽木谷に向い、かつての通り、将軍家にご奉公されていたとか---。」  やがて、将軍義晴がみまかり、嫡子義輝が将軍職に就いたが---やはり、住まいは朽木谷のままだった。  「太閤殿下は、信長公が憧れであったと仰せでございましたが---」  元親は、ひた---と手を止めて、紫微星を仰いだ。  「光秀殿の憧れは、義輝さまでございました。」  足利義輝は、大層な美丈夫であったという。足利家にしては、珍しく武道に秀で、三好軍と互角の戦いを展開していた。三好長慶の死後、京都を奪還した義輝は、再び京都の御所で、権威を取り戻そうとしていた。  元親が光秀と出会ったのは、そんな頃だった。  四国の三好の反駁を押さえるために、土佐の長曽我部の助力を乞いたい---と光秀が土佐を訪れた。  元親は、共通の敵、三好に対抗すべく、光秀の血縁の女性を妻に娶り、その連携を強化した。  「光秀殿は、実に細やかで端正な方でした。義輝殿が御所に戻られ、供御方として、刀を包丁に持ち直して、本来の奉仕に励める。---光秀にとっては、一番幸福な日々でございましたでしょう。---」  しかし、その安泰も束の間、将軍義輝は、御所を急襲した三好三人衆と松永久秀の凶刃に薨れた。  「折り悪しく、光秀殿が堺へ出向いていた折りのことでございました。」  光秀の嘆きは、一方ならぬものだった---という。  「そして---、弟君の義昭さまを還俗させて、将軍職を継いでいただく---そのために余生を捧げようと決意なされたのです。」  秀吉は、くぃ---と手酌で酒を煽った。  「それは、分からぬではない。光秀殿は、元々、義昭殿を将軍として上洛させるために、大殿に仕えたのだからな---」  だが、しかし、義昭は一度は上洛を果たしたものの、信長への翻意を顕にしたために、京を逐われた。  「だが、何故に義昭殿が殿に逐われた際に離反せなんだのか?」  「義昭さまは、義輝さまではございませぬから---」  器が違う---と光秀は思った。それでも見捨て切れなかった。  「信長公は、ご自身に仕えておいででありながら、その心に、別な夢を、別な憧れを抱いていることが許せぬのだ---と光秀殿は仰っておりました」  ふぅ---と秀吉が大きくため息をついた。元親は、注がれた酒を干して、続けた。  「光秀殿が、本能寺に向かわれた時、殿下が中国攻めに向かっておいででした」  「うむ。光秀殿は大殿に命じられて、わしの援軍に来られるはずじゃった」  元親は、指をしならせ、また弓を取った。切ない儚げな曲調がさらに切なく響いた。  「義昭さまは---毛利家に身を寄せておいででした。その毛利攻めに加担することは---」  ―自身で自分の夢を断ち切れ---―信長の命は、光秀を追い詰めた。  「公家方の宴席での叱責---毛利攻め---信長公は、光秀殿に『過去の自分』を全て捨て去って、自分だけを仰ぎ見ることを求められたのです」  秀吉は、うぅむ---と唸った。自身にとっては信長が全てだった。だから、さほど苦になるようなことは無かったが、確かに、異常に嫉妬深いところはあった。自分以外の神仏を人々が仰ぐことすら許せず、自ら『第六天魔王』を称したくらいだ。他化自在天---人々が仰ぐものは、全て信長に帰着せねばならなかった。  「では、お主は光秀殿が命じられたのが、わしの援軍ではなく、柴田殿の援軍であったなら、大殿に刃を向けることは無かった---というのか?」  秀吉は眉根を吊り上げて言った。  「それは、分かりませぬ。ただ先年、手取川で上杉勢と対峙した時には、光秀殿は総大将ではなかった。かつて面識のあった謙信公に勝てるとはお思いでなかったでしょうし、よしんば、謙信公の刃に倒れても、本望という気持ちもあったやもしれませぬ。」  ギリギリ---と歯軋りをして、秀吉は、言った。  「だが、謙信は既に病で死んでいた」  「---故に、もはや光秀殿の夢は叶うことの無い夢となり申した。---自身が信長公にとって替わらぬ限り--」  しかし、かつて共に幕府再興の夢を見た朋輩、細川藤孝や筒井順慶はその夢を捨て去っていた。義昭では将軍は務まらぬ---と見限っていた。  「光秀殿の最後の願いは、義昭殿のお生命を繋ぐこと---」  「つまり、大殿に異変あらば、わしが中国攻めを放り出して取って返す---と」  元親は、黙って頷いた。    秀吉は大きくため息をついた、そして元親をじっ---と見て言った。  「そればかりではあるまい---」  元親の表情がふ---と変わった。  「光秀殿はそなたを助けたかった。---いや、そなたを殺したくなかった」  中国攻めが成功していたら、次に向かう先は『四国』---間違いなく、光秀を攻め手の大将としただろう。自らのために、光秀が親しい友を刃にかける---ことを希んで---。  「結局---」  秀吉はふらりと立ち上がった。  「大殿は『賭け』に負けたのじゃな---」 『是非に及ばず』---信長はその一言を残して果てた。希んでも得られないものもある---その事実を最後の最後に突き付けられ、潔く認めた---ということか---と秀吉は、ふっと信長が秀吉に近づいた気がした。  「のぅ、元親---」  秀吉は、縁側にとす---と腰を下ろした。  「そなたの夢を、わしは奪ってしまった。四国統一の夢も---信親殿も---」  もたげた首をぐるりと巡らせて、秀吉の眼が、元親を見た。九州攻めで、元親の嫡子は、総大将の仙石秀久の無能のために命を落とした。 「わしを恨まぬのか---」 「恨んだところで、信親は還りませぬ」  元親は、二胡を奏でる手を止めず、呟くように言った。  「鬼であった私は信親とともに死にもうした。----ここにおるは脱け殻に過ぎませぬ」  「それは困る」  秀吉は、口を尖らせて言った。  「わしは、そなたの猛る様が見たい。鬼と言われたその腕を今一度、わしのために奮ってくれぬか---」  元親は寂しく微笑んだ。 「折りがありますれば---」  星がひとつ、流れた。  ふたりが逝く、少し前の初夏のことだった
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