明日の教示者

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 人生のほぼ全てを後ろ暗い組織で費やしてきた俺を恨んでいるヤツは決して少なくない。俺と知らずに恨んでいるヤツはそれより遥かに多い。  だからこの手の気配には敏感で、このところ俺の過去を嗅ぎまわっているヤツがいることはすぐに察していた。同時にそれが誰なのかも。 「あぁ、めんどくせぇな」  無能ならまだしも幸せになれただろうにと思わずには居られない。  さすがあの剣士のひとり娘と言うべきか、生半に優秀なものだから知らなくてもいいことを知ってしまう。大人しく俺の手のひらの上で転がらないじゃじゃ馬め。  それが疎ましくもあり、嬉しくもあり、なんとも複雑な気持ちだった。まあ愚痴っても仕方がない。愛娘の旅支度を始めよう。  俺はその日のうちに幹部のひとりを暗殺、設備をみっつ破壊して組織の事務所を後にした。行きがけの駄賃に盗み出した研究成果のいくつかをバラバラのルートに流して混乱を誘うことも忘れない。  組織のどこにどのくらい負荷をかけるとパンクするか知らん俺ではない。これだけやれば俺に向けられる追手は極めて限られる。そして万が一にも失敗しないよう絶対勝てない何人かの候補からふたりほど差し向けられるだろうことも予測済だ。  だが逆にここまで条件を絞り込んでおけば時間を稼ぐのは難しくない。  社会の闇を牛耳るこの組織にどっぷり首まで浸かっている俺に辞職なんて上等なものはない。足抜けとはつまり死を意味する。だからいざという時のための用意は常に怠ってこなかった。細工は上々、あとは必要な時間を稼ぎつつ待つだけだ。  獲物が食い付いてくる時を。  組織を抜けて数日で騒ぎを知った本命が餌にかかった。追い立てられる素振りで町から少し、街道からも離れた暗い夜の荒野へと誘いだす。  人影はふたつ。  それは他人と他人であり  父と娘であり  元上司と部下であり  そして 「パパは、私の本当のパパの仇だって聞いたんだけど」  感情を抑えて問う娘の声に強い緊張と混乱が見て取れる。 「は!やっと嗅ぎ付けたかウスノロめ」  俺は嗤う。二十余年の微睡みから醒める日がやってきたのだ。 「やっぱり本当なのね。まあ別に覚えてもいない産みの親なんてぶっちゃけどうでもいいんだけどさ、どういうことか説明くらいしてくれる?どうして私を育てたりしたの?」  確かにアイツは俺が殺そうと思っていた。何度も挑んで、何度も返り討ちにされた。あの頃の俺は勝つことだけが全ての血気盛んなガキだった。最後には幼い娘を人質に取る計画を立てて実行しようとした。 「ちょっとした腹いせさ。お前のオヤジにゃ散々手をかけさせられたからなぁ。死んだって許さねぇ」  けれども計画は実行されなかった。その直前、アイツは事故で死んじまった。俺の期待通りに娘をその身に庇って。 「そこでひとり残ったお前の出番ってわけだ。アイツを殺した俺の手でその愛娘を育ててやろうと思ったわけよ」  仇のあっけない死に呆然自失のまま、俺は身寄りをなくしたばかりのその娘をなんとなく、本当になんとなく引き取った。  善意とか罪滅ぼしとか良心に目覚めたとかそんな話ではまったくなくて。  強いて言うなら、方向性は違えど心を占めていたものを突然失ったもの同士の共感のような、そんな感傷的な理由だった。 「どうだ?親の仇をパパって呼んで生きてきた人生の感想はよぉ。聞かせてくれよ」  気怠い喪失感の中でいつの頃からか情の芽生えた俺は、手遅れになる前に娘を突き放すことにした。汚れ仕事ばかりの組織にいても幸せになどなれない。だが俺と違って組織と深く関わる前ならまだ足抜けできる。  しかし放り出して数年して娘はまたしても大切な相手を失った。今度は恋人だった。 「ついでにもうひとつ良いことを教えてやる」  犯人はすぐに見つかった。なぜならソイツは組織の構成員で、犯行動機は仕事の都合だったからだ。  娘は復讐を望むかも知れないが、組織に敵対すればただではすまない。俺は事実を隠蔽して知らん振り決め込むことにした。 「お前の男を殺した犯人なぁ、このあいだ死んだぞ」  はっとした顔で目を見開いた娘に対して優しい声で語り掛ける。 「俺が殺した。野郎組織を裏切ったからなぁ。犯人は俺の部下のひとりだったんだ」  混乱を怒りが塗りつぶしていく様が手に取るようにわかる。そんな愛娘に、俺は人生で最高に邪悪な嗤い顔を向ける。 「だが心配はいらねぇぜ?お前の仇はここにいる。そう、お前の男を殺らせたのは俺なんだからなぁ!」  犯人は俺が殺した。できれば仇を討たせてやりたかったが状況が許さずやむを得なかった。  情報操作で上手く誤魔化してきた娘の存在が組織に知れるのを恐れたからだ。 「ぶっ、ぶっ殺してやるっ!!」  頭に血がのぼった勢いで殴り掛かってくる出足を払い、倒れた背を踏みつけた。得物を抜くことも忘れるほど狂乱している娘を見下ろし、俺はあくまで嘲り嗤ってみせる。 「くはははっ、どんな気分だ?なぁ、俺は待ったんだよ。二十年以上も、お前が、アイツの娘がこうやって、最っ高っ!に甘く実るその日をなぁ!!」  本当についてない娘だ。実の父親も、入れ込んだ恋人も、その手に触れていた大切なものは全て消えていく。  恋人を失って以来お前が誰にも深入りせず生きてきたのはよく知っている。幼い頃に失った父親の存在を知ってしまった以上、それはこれからもっと顕著になるだろう。  別に一時(ひととき)の享楽やあぶく銭だけを求めて生きていく人生が悪いとは言わない。それは選んだ者の責任だから好きにすればいい。  だが今のお前は選ばされている。本当はちょっと運が悪かっただけなのに、選択肢はもう永遠に閉ざされてしまったような気分に陥っている。   だから。 「今すぐ殺したんじゃつまらねぇ。だから今日は見逃してやる。なぁに、俺は逃げも隠れもしねぇ。じっくり作戦を練って、たっぷり備えて、本気で掛かってこいよ。助っ人呼んだって構わねぇぞ。手段を選ぶな。常識に囚われるな。いいか?万全だ。万全を期して終わらせに来い」  お前のその気分は俺が引き取ってやろう。お前が不幸なのは全て俺の所為なんだと、そう信じたまま俺を殺せ。人生の悪の元凶を、自らの手で狩り取ってみせろ。  そしてこれが、お前の人生がどす黒く煮え滾る最高最後の一瞬になることを祈ろう。  父親らしいことなんぞなにひとつしてやれなかった俺だが、最後にせめてお前に自由な明日を示そう。  過去を打ち破って明日へ向かえ。  お前を不幸にしてきた悪はもういないのだと、これからは自由なのだと、そう信じて明日を生きていけ。  そのために。 「お前がどんな化物どもを相手にして来たか知らねぇが、俺様こそが掛け値なしに最強最大だ。舐めてっと…ゴミみてぇにあっという間に死ぬぞ。たっぷり楽しませてくれよ?なぁ!」
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