胎動

1/1
前へ
/10ページ
次へ

胎動

 しっかりとした太い木だった。泥塗れの両手と、掘り起こされたばかりの卵。この樹齢何百年ともしれない木の根本に埋まったこの3つの卵。真っ白なコイツらは卵と一口に言っても、私らがよく店で目にする卵ではなく、ダチョウの卵のようなかなりのサイズ感を持った卵である。それらはまるで三つ目のようにギロリとこちらを覗いているように感じる。単に私と目が合っているわけではない。私の内側で胎動を始めた高揚感と恐怖感、そんな私の内部をまるで顕微鏡を覗く科学者のような姿勢で見透かしてくるのだ。  「もう時間もない。どうせ私には後がない。かと言って先もない。なら後先考えてるだけ無駄な足掻きだ。私のような虫ケラにはお似合いかもしれんが、虫ケラではない奴らが私以外にたくさんいる。そいつらのためにも命という荷物をおろし、死の覚悟を背負う腹積もりはしてきた」  嘘みたいだ。緑が渦巻くこの名無し山の頂上。この場所だけがまるで別世界。もしくは別次元。この木一本しか佇まない。周りの自然がコイツに遠慮しているかのようだ。  今から私がしようとしている事を妨害するように雨粒の銃弾が降り注ぐ。光の槍は暗い空に入ったヒビ割れだ。素っ裸にレインコートを着た私にはとても厳しい環境だ。  神でも悪魔でも何でも構わない。この穢れを孕んだ私の生涯に打たれるピリオドが、せめて意味のあるものであるように祈っていてくれ。絵里、総司、美来。もうみんなはあんたら2人のどちらかのもとにいるんだろう?あぁ、私もどうか、こんな虫ケラにもどうか、彼らと同じ場所に行きたい。そこが天国でも地獄でも、彼らがそばにいるなら私の居場所はそこだ。そこ以上の場所はない。そこにしかない。  私は手に持った金槌を、右端の目玉に対して振りかぶった。  「私に地獄を!悪夢を見せろ!恥ずかしげもなく世界よ!お前の醜い恥部を私に曝け出せ!」  目玉は砕けた。中から産まれたのは一つ目の子猿だった。体液に塗れたそいつは小さくガリガリな形をしており、餓鬼を彷彿とさせた。だがその弱々しい体とは裏腹に、こちらの勇気と思考を強制的に握り潰してくるような威圧感がそいつにはあった。次の瞬間そいつは私の右手に噛み付き、中指を食いちぎったと思えば、すかさずその細い腕で残りの指を無理矢理ちぎり取っていった。私はというと、子供のように泣きじゃくり、喚き、雨音にかき消されていても関係ないほどの悲痛の叫びをあげながら、その凶暴な怪物を引き剥がすのに必死でした。右手の手の平まで大部分を食い荒らされたあたりでそいつは満足したらしく、私の一部だったものをうまそうに貪っていました。  「わざわざワシを呼び出したという事は、そうか。3人は逝っちまったんじゃのう。まぁ腹を満たしてもらった礼じゃ。義務は果そう。知らぬ仲ではないしのぅ」  そいつはくちゃくちゃと咀嚼を繰り返しながら、しゃがれた老人のような声で流暢に喋った。  「ならさっさと寄越すモノを寄越せ。私はお前の飼育係など御免被るぞ」  「分かっておる。まったく近頃の若い者はせっかちでいかん。時間というものは有限じゃ。いずれは等しく尽きる。ならばその中でどう過ごしたか、ここに価値が見出されるわな。慌ただしく過ごすか、余裕ある過ごし方をするか。等しく終わるのなら、ゆったりと余裕を持った過ごし方をした方が良いと思うのじゃが」  「悪いが私は獣が苦手だ。だが獣が垂れる講釈はもっと苦手だ」  「相変わらずつまらん奴じゃのぅ。まぁええわ。ではワシも義務を果たすかのぅ」  そう言うとそいつは、自分の一つ目を自らの手で抉り出してこちらに放ってきた。私はそれを左手で受け取り覚悟を決めた。私もそいつと同じように左目を抉り出した。さっきまでの拷問にも引けを取らない激痛と後悔の念が体中を駆けた。そしてそいつの目玉を、私の左目があった場所に嵌め込んだ。するとそれは不思議な事に、最初から私専用に作られていたかのようにぴったりと嵌った。そしてその目が写してきた記憶がすべて、私の脳内に流れ込んできた。  雨はいっそう強くなった。
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!

5人が本棚に入れています
本棚に追加