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「ああ、あそこは先輩だからって偉そうにしてやがった、年下の舐めたガキをのしたら首になった」
頭が痛くなる。
「バカかお前は。26にもなって何やってんだ。アシッドワークスでの喧嘩も、マスターが取り持ってくれてなかったら、警察沙汰だったんだぞ」
「あれはあっちからふっかけてきたんだよ。……ほら」世良はそう言いながら、グラスに氷も無しに注がれたブランデーをよこしてきた。「ヘネシーだぜ。滅多に飲めるもんじゃない」
俺はグラスを持つ手が震えた。
「ヘネシーって……仕事もろくにしてないお前が、なんでこんなもん……」
「最近ちょっと知り合いの頼まれごとを手伝い始めてよ。今日は臨時収入が入ったんだ」
それを聞いてなんとなくそれを口にする気が起きず、俺はグラスを突っ返した。
「なんだよ頼まれごとって?」
世良はそれを無視して、ラークに火をつけながら寝転がった。
「まぁいいじゃねぇかそんなこと。いいから飲めよ」
「よくねぇよ。金の出所のわからない酒なんか飲みたくない」
俺がそう言うと、世良はフンと鼻を鳴らした。
「いい子ちゃんぶりやがって。昔はそんなじゃなかったのにな。一緒になって悪さして……あの頃のお前は良い奴だったよ、今と違って」
「始まったよ。何かって言うと、昔の話を持ち出しやがって」
「アシッドワークスを教えてやったのも俺なんだぞ。それなのに俺は嫌われ者の出禁、お前は辞めてた歌をまた始めて、人気者」
その嫌味ったらしい口調に、カチンとくる。
「お前が子供のままなだけだろうが。俺は当たり前にやることちゃんとやってるだけだ」
「よく言うぜ。音楽辞めて働き出した時、いっつも仕事のグチいってたじゃねぇか。良い会社に就職できたのに、言い訳ばっかして、尻尾巻いて逃げ出したんだろう結局」
「なんだと?」
胸の奥で、熱くてドス黒い感情が渦巻く。
「だから俺がアシッドワークスを紹介してやったんだよ。お前は歌をうたうのが似合ってると思って。ありがたく思ってるんだろうな?え?」
世良はそう言うと、俺の顔に向かってフウとタバコの煙を吹きかけ、灰皿にラークを押し付けた。
「……来るんじゃなかったぜ。もう、連絡してくるな」
俺は込み上げる怒りを押し殺して、立ち上がった。
「自分がしんどい時だけ友達ヅラして、俺が今こんなんだからって見下してるんだろう。都合の良い奴だ」
世良が玄関に向かう俺に捨てゼリフを吐く。随分酔っているということはわかっていた。それでも、不愉快な思いを我慢できなかった。
バタンッ!
勢いよくアパートのドアを閉めると、俺は舌打ちをしてマルボロに火をつけた。
冷房のせいで外の空気が生ぬるく感じる。それがまた、余計に不愉快に思えた。
「よう。お待ちかねだぜ」
そして、ちょうど一週間後。俺は再びアシッドワークスに足を運んでいた。店に入るなりマスターは、カウンターで突っ伏した女をあごで差して言った。
「ああ……先週の」
女は、例の大きな輪っかのピアスをしていた。酔いつぶれた彼女の隣に腰を下ろしながらステージに目をやると、ハタチ前後の青年が弾き語っていた。お世辞にも、上手いとは言えない。だけどなぜか、真剣に歌手を目指していた、大学生の頃の自分を思い出した。
「ん~……。刹那、さん?」
彼女が目を瞑ったまま、こちらに顔を向ける。
「本当に、また来たんだ。大丈夫かよ?」
「大丈夫……じゃないです」
朋香の顔は真っ赤だった。
「結婚しようって言ってた彼氏に、嫁さんと子供が居たんだってさ。可哀相に」
マスターがグラスを拭きながら、気の毒そうに言う。
「なんだって?そりゃあ、ひどいな」言いながら、マルボロに火をつける。
「私、いっつもこうなんです。浮気されたり、二股かけられたり」彼女は相変わらず目を瞑りながら、自嘲気味に笑った。「でもいいんです。こうして、刹那さんに出会ったから」
俺は、呆れたように笑った。
「そんなことすぐに言うから、遊ばれちゃうんだよ」
「違います。こんなこと、初めてなんです。刹那さんの歌、忘れられなくて。だから、来たんです」
その言葉に肩をすくめるマスターと、顔を見合わす。
「傷心だから、そう感じたのさ」
「……そうかもしれません。でも、本当なんです。待ちに待ってた、感覚だったんです。信じてくれないでしょうけど」
朋香はそう言うとようやく目を開け、残ったハイネケンを手に取るなり、一気に喉へと流し込んだ。
「おいおい、もうやめとけって」
彼女は空き瓶をタンッとテーブルに叩きつけると、こちらを真っ直ぐに見つめて言った。
「私は結婚したかったんじゃない。幸せに、なりたかったんです」
俺は彼女から視線を逸らし、タバコをもみ消しながら呟いた。
「結婚できたからって、幸せになれるとは限らないさ」
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