クロノスタシス

5/6
前へ
/6ページ
次へ
「辛かったよ。孤独だった。そんな時にさ、世良が声をかけてきたんだ。俺んちもお袋の帰りが遅いから、遊びに来いよ、って。あいつんとこは物心ついてすぐ、両親が離婚したらしいんだ。だから、それからは世良とよくつるむようになってさ。絵に描いたような悪ガキコンビになっちまって。学校でもしょっちゅう問題起こしたけど、親父はあまり怒らなかった。救われたんだよ俺、あいつに。それで、俺もあいつを見捨てないって決めたんだ」 「……そう、なんだ」  金木犀の匂いを乗せて、夜風が優しく頬を撫でる。 「みんな、大人になるにつれて少しは変わっていくだろう?なのにあいつはいつまでたっても変わらないまま。それが、あいつらしくもあったんだけどさ。近頃は、会えば喧嘩ばっかで。いい加減、うんざりし始めちまってたところさ」  ベンチのそばの街灯が、光を失う。が、少しして点滅を繰り返した後、再びぼんやりとした明かりを取り戻した。 「刹那さんが大人になっていくのが、寂しかったのかもね」 「……さぁ、どうだろう。なんか変な金の稼ぎ方し始めてるみたいだし、辞めろって言っても聞く奴じゃないからさ。……しばらく、ほっとこうと思う」 「うん……。それがいいと思います。時間が経てば、彼もわかるんじゃないかな」 「はは」俺はわかりやすく苦笑いした。「どうだか、ね」  そう言いながら、俺は夜空の月を見上げた。  その光は、さっき見た時よりも、闇の中で一層明るく輝いているように見えた。  そうして彼女と別れた後も、いつも以上にしつこく世良からの着信があった。次の日も、その次の日も電話は鳴った。だけど、俺が電話を取ることはなかった。三日が経ち、諦めたのかとうとう電話はかかってこなくなった。  世良の時間は、子供の頃のままゆっくり流れているのだろうか。だとしたら、それが一概にいいことだとも思えそうになかった。子供のままで大人になる。それは、俺がなりたかった大人の姿でもあった。だけど今は、そうやって生きていくことの難しさと、過酷さを、身をもって知ってしまっているのだ。  そして、次の土曜日の夜。  相変わらず俺はアシッドワークスにやって来ていた。今日は、ライブの日だ。  バックヤードで精神統一を済ませると、ひょっこりとドアの隙間から顔を出す。見覚えのある客の顔がチラホラと確認できる。もちろん、朋香もその中にいた。今日の弾き語りが終われば、しばらくライブの予定はない。その間に、彼女とデートを重ねるというのも、いいかもしれない。そんな事を考えながら顔を引っ込めようとすると、珍しい来客を視界の隅に捉えた。 「……おい、笹野!」  俺は、バックヤードのドアを開いて叫んだ。 「よーう!来たぜ。SNSでライブ予定だって目にしたからな」  笹野とは中学を卒業した後もしばらくつるんでいたけど、ここ何年かはSNS上でのやりとりしかしていなかった。 「久しぶりだなぁ!わざわざ来てくれたのかよ!……初めてだよな?俺の歌聴くの」  満面の笑みで、ガッチリと握手を交わして言う。 「ああ。楽しみだよ。……それでさ」笹野はそこで一旦言葉を切った。「聞いてるか?世良のこと」  俺はその言葉に虚を突かれ、顔を強張らせた。 「……世良?何か、あったのか?」 「聞いてない、か。俺の実家、世良の実家の近所だったろ?だから、知らせが来たんだけどさ……」  笹野が言い淀む。 「なんだよ、言えよ」  嫌な予感が、拭えなかった。 「世良の、お袋さん。……亡くなったんだって。ちょうど、一週間前だよ」  俺は耳を疑った。 「なんだって?」 「脳梗塞、だったらしい。見つかった時にはもう、亡くなってたそうだ」  自分の鼓動が、急激に早くなるのがわかる。  まさか。まさか、そんな!  あの日から、世良が何度も電話して来たのは、お袋さんのことを俺に……。 「世良は、葬式に来なかったらしい。噂じゃやばいことに巻き込まれてて、実家もバレてるからしばらく近づいてなかったそうだ。離婚した親父さんも行方がわからなくて、代わりにお袋さんの親族が家族葬にしたんだってさ……」  俺はそれを聞いて、笹野の両肩に掴みかかった。 「そ、それで!世良は?」  笹野は、ゆっくりと首を横に振った。 「俺からは、連絡してない。知ってるだろ?昔、あいつともめて随分酷い目に合わされたの。俺だけじゃない。誰だって、あいつに連絡を取る奴なんていないさ。連絡が来たって、シカトするだろう。刹那。お前以外は、な」  俺は、全身の血の気が引いていくのを感じながら、わなわなと体を震わせて立ちすくんだ。 (俺んちもお袋の帰りが遅いから、遊びに来いよ)  母親が亡くなり、父親の帰りが遅くて寂しい思いをしていた俺に、世良から言われた言葉を思い出す。 「刹那さん、時間です」
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!

8人が本棚に入れています
本棚に追加