8人が本棚に入れています
本棚に追加
ちょうどその時、バックヤードから音響スタッフに声をかけられる。
「え、ええ。今行きます」
激しい動揺を隠しきれぬまま、俺は不器用な手つきでギターを抱えた。
「……刹那、大丈夫か?」
笹野がその様子を見て慮る。
「ライブが終わったら……世良の家に行くよ」
「そう……か。そうだよな。お前は、世良の唯一の友達だもんな」
笹野の言葉に頷くと、俺は照明の落ちたライブハウス内を、ステージ目指してゆっくりと歩き出した。
やばいことに巻き込まれてる?妙な連中を手伝って金を稼ぎ出したことと関係あるのか?いや、それより葬式にすら出られずに、あいつは今、どうしてるんだ?
様々な疑問が胸に渦巻く。足取りが、重く感じる。すぐ目の前にあるステージへ向かう時間が、果てしなく長く思える。
その時だった。
「お、おい!お前!」
突然、マスターの怒号がアシッドワークスに響き渡った。
なんだ?
そう思って振り返ろうとした、次の瞬間。
ドスッ!
黒い塊が、俺の体に勢いよくぶつかってきた。
ドスッ、ドス!ドス!
その塊は計四度、俺の腹部めがけて力強く何かで突いてきた。
店内が、にわかにどよめき始める。
「しょ、照明だ!照明つけろ!」
腹が、熱い。焼けるように、熱い。
なんだ?一体、何が起きたんだ?
ゆっくりと天井のライトが点き、煌々と俺と黒い塊を照らし出した。
「キャアアアアアアアッ!」
同時に、耳をつん裂くような朋香の叫び声が聞こえた。俺は、猛烈な腹部の痛みとともに、足の力を無くし、グラリと膝から崩れ落ちた。
黒い塊……それは、世良だった。
手に、切っ先が赤く染まった包丁のようなものを持っている。世良は、ブルブルと全身を震わせながら、青褪めた表情を見せ、肩で大きく息をしている。
そこかしこから、悲鳴や絶叫が聞こえてくる。
意識が、徐々に薄らいでいく。周りの声が、遠い世界のもののように感じられる。
「裏切りやがって……俺を、裏切りやがって!」
興奮した世良の叫びが、空間で歪みながら、鼓膜の奥に届いた。
血流溢れ出る腹を抱え、上半身の自由も失い、ゆっくりと床へ倒れ込む。
(死ぬ……のか。俺……)
声にならない声が、頭に浮かぶ。
視界が、漆黒の闇に包まれていく。
今にも途切れそうな意識の中、最後に俺の目に映ったのは、壁に掛けられていた古時計だった。
時計の秒針は、はっきりと止まって見えた。
それは、あまりにも、あまりにも長い、まるで永遠にも似た……ほんの一瞬だけの、錯覚だった。
ー了ー
最初のコメントを投稿しよう!