悪魔の落とし物

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悪魔の落とし物

「審問官殿は、悪魔の落とし物という噂をご存知で?」 「んん?」  それはまさに私が、必要な買い物を済ませて教会に戻ろうとした時のことだった。私のことを、教会の正式な異端審問官であると知っている――ということは、この男はどこかの現場で私を見たことがあるということだろうか。坊主頭を傾げつつ、相手を観察することにする。  声をかけてきた男は、やや薄汚れた身なりの労働階級に見えた。工場で働いているのか、全身が煤やら埃やらにまみれていてあまり衛生的ではない。背中も曲がっているあたり、そこそこの年であるのかもしれなかった。顔まで黒く汚れているせいでいまいち年齢がわかりづらかったためだ。私に声をかけるにあたり、帽子を取るといった礼儀は弁えていたようだが。 「ああ、いえ、その。……突然すみませんねえ、私みたいな薄汚れた男に声をかけられて驚いたでしょう」  私が固まったことに気づいたのだろう。彼はぽりぽりとフケにまみれていそうな頭を掻いて言った。 「実は先日、商品を隣町に運んだときにね、丁度魔女裁判っていうのですか……それが行われているところに遭遇しまして。えっと、それで貴方が現場を取り仕切っているのを見たので……お声をおかけしたわけですが」 「ああ、そういうことでしたか。何か用事でも?」 「用事というか、気味が悪いので何とかしていただけないかということなんですけど」  正しい教会の教えに従わない背教者、悪魔と契約したとされる者、教会に異端宣告されたにも関わらず説教を続けて勢力を拡大し続けるワルドー派などなど。民衆を惑わす魔女達が尽きないがゆえに、私達異端審問官がてんてこまいになりながら仕事をしているこのご時世。  魔女とされ、処刑される者の罪や解釈は多岐にわたるであろうが、いずれにせよ彼らの存在が敬虔な信者たちに大きな不安をもたらしているのも間違いのないことであった。彼ら彼女らが存在することで、この世は大きな混沌の渦に巻き込まれてしまうことになる。神がお怒りになり、大いなる天罰が下される日が来るのも近いのではないかと怯える者も少なくないと聞く。  一日も早く、正しき主の教えを一人でも多くの民衆に浸透させ、忌々しい背教者達を駆逐すること。それこそが民の為であり、主のためであると私は信じてやまなかった。例え背いた者を追い詰める手段が、一部の者たちに“残酷すぎる”と批判されているのがわかっていたとしてもである。
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