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その晩、僕は一睡もできなかった。
ありえない。
ありえない。
湧き上がるのは、恐怖に裏打ちされた驚きの声ばかりだ。ありえない。
父が怪物に呼びかけたことも。
怪物が定時以外に部屋を出たことも。
一向に訪れない睡魔を恨み、観念した僕はベッドの上に身を起こした。同時に、微かな金属音を捉えて体に緊張が走る。
(また……?)
闇に沈む部屋を見据えて、僕は全神経を音に集中させた。間違いない。怪物が部屋を出て、下に降りたのだ。遠ざかる足音に、僕は嫌な予感を覚えた。
枕元の時計を見ると、零時を少し過ぎたところである。早すぎる。怪物の入浴タイムは朝に近い二時や三時なのだ。
そうっとベッドを抜け出ると、深夜の静寂を縫って重い音が耳に届いた。父が帰宅した時と同じ、玄関ドアの音――思い立った僕は、南側の窓を開けてベランダへ降りた。
夜空は厚い雲に覆われていたが、風が強く、灰色の塊が押し流されていく。ちょうど真上にかかる月は春の名残りを残して縁をぼんやりと滲ませていた。
ベランダからは南側に広がる猫の額ほどの庭と、端に停めた父の車が見える。怪物の背中がぼんやりと浮かび上がったのは、車中から零れる明かりと、仄白い月光のせいだ。
慎重な手つきで後部座席のドアを閉めた怪物は、両手を高らかに突き上げた。すぐに闇と同化してしまったが、手摺に隠れて見下ろす僕の目にも、怪物の顔が一瞬だけ映った。
夜に同化する直前、怪物はたしかに笑みを浮かべていた。
僕が再び起き出したのは、怪物が入浴してしばらく経つ頃だった。
玄関横の浴室からは、上機嫌な鼻歌が水音に混じって聞こえている。父の車の鍵を握りしめて、素足をサンダルに突っこんだ。大丈夫。両親は寝ていたし、怪物も当分は浴室から出てこない。
外に出ると、生温い風がふわりと頬を撫でた。敷地内とはいえ、パジャマ姿で深夜に出歩くだけで鼓動が速まった。戸建て住宅が立ち並ぶ周辺は、しんと静まり返り、外灯の光が心許なく夜に浮かび上がる。
車に近づき開錠すると、聞き慣れた音がいやに大きく響いて、思わず周囲を見回した。恐る恐る後部座席を開いたが、なんら変化はない。
(アイツ、なにしてたんだ?)
しゃがみこんで首を傾げた僕は、斜めになった視界に映りこんだものに釘づけとなった。
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