6人が本棚に入れています
本棚に追加
折れ曲がった黒榊の幹に降り立った闇の神は、指で空気を弾く仕草を行った。ふわりと小さな黒雲が生まれたかと思うと、横たわる土竜の体を包みこみ、やがて、蒸発するように霧消した。
暗い灰色の毛皮が、ぶるっと大きく撥ねる。頭をもたげた土竜は、驚きに大きく息を吸いこんだ。
「あ、ああぁ!! なんということだ!」
「騒ぐな。俺の力をもってすれば、造作ないことだ」
土竜は、小さな瞳をめいっぱい開き、激変を遂げた世界を見回した。これまで、視界を覆っていた濃霧は消え去り、周囲に広がるのは夜に沈む森――色を失った木々が幾重にも重なる暗鬱な森の景色も、真上に広がる夜空も、半円よりやや欠けた月も、はっきりと視認できた。もし、昼であったら、彩り溢れる陽光の世界に、土竜は卒倒していただろう。
「おかしなヤツだ。夜の景色がそんなに珍しいか」
くつくつと笑う声で我に返ると、見目麗しい少年が土竜を見下ろしていた。年の頃は十三、四ほど。丈の短い小袖の羽織、袴、足袋もすべて滑らかな黒色で、時折のぞく羽織の裏地だけが目の醒めるような朱色であった。
「あなたが……闇の、神様?」
「いかにも。俺の名は、晦冥命」
土竜は、問いかけた自分の声が苦もなく樹上の少年に届いたことに気がついた。視力と同じく神力のおかげだろう。土の中で息を潜めて暮らす土竜の声は、視力同様に衰退寸前の機能なのだ。おまけに、疲労困憊だった体も回復している。
変化を遂げた状況に驚く以上に、現れた神の姿に度肝を抜かれた。
(てんで、子供じゃないか……)
じっと見下ろす少年の顔が、闇の森に白く浮かび上がる。涼やかな瞳は氷輪の輝きを湛えて煌めき、なにやら企んでいそうに持ちあがった唇は紅を差したように妖しく艶めいていた。
「その体で闇をも恐れず、ここまで辿り着いた心意気は認めてやろう。お前の願い、述べてみよ」
二人きりの森に響き渡った晦冥命の声に、土竜の毛並が興奮で逆立ち始めた。
最初のコメントを投稿しよう!