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「私が暮らすのは、人里の畑の片隅……無論、土の中でございます。一切の光が届かぬ闇の世界――私は、長らく地上の世界を知りませんでした」
晦冥命を見上げて、土竜は語り始めた。
土竜には、兄が二人いた。
ある日、兄たちは地上への大冒険に挑み、意気揚々と土を掘り上げていった。末っ子の土竜は年少であるが故に同行を認められず、泣く泣く地中で兄たちの帰りを待ちわびていた。
「地上に出た時の感動は忘れられないよ。顔を出した途端に浴びた風は柔らかくて、花々の香りが混じっていた。なにより、燦々と注ぐ太陽に毛並が膨らんで、ふくふくとしたものだ」
一人で帰還した次兄は、夢見心地で顛末を話し始めたが、次に口を開いた時には、別人のように低く冷たい声だった。
「でも、そんなのはまやかしだった。二人で土の上を転がりまわっていた次の瞬間……隣にいた兄さんの体が宙に浮いたんだ。あの時の叫びが……いまも、耳にこびりついて、離れない」
次兄は身を震わせて、小さな瞳からぽろぽろと涙をこぼした。
「狐だよ。あいつら、草むらの茂みから狙っていたんだ」
長兄が呑みこまれた直後、もう一匹の狐の攻撃を寸でのところでかわし、命からがら逃れた次兄は衰弱し切り、数日後に絶命した。
臨終の言葉は、土竜を絶望させるに十分であった。
「お前は俺たちのようになってはいけないよ。お天道様の下には、恐ろしいものたちが黒々とした影を落として待ち構えているんだ。俺たちは、おとなしく土の中で蚯蚓を追いかけていればいいのさ」
「私には、兄の言葉を受けいれることはできませんでした」
機能を与えてもらった土竜の瞳から、涙河がとめどなく流れ落ちていく。
「兄たちが命を失ったにも関わらず、地上への憧れは膨らみ続けました。土中をもがき、蚯蚓を食らうだけの一生なんて……。ほんの一瞬でいい、この身に光を感じたい……」
あの夜――数秒の沈黙の後に再び語り始めた土竜の声は、震えていた。
緊張や恐怖に、ではない。
喜びに打ち震える彼は、話す間ずっと首をもたげていた。
夜空を――遥か遠くの夜空に架かる月を、うっとりと見つめていたのだ。
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