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「土竜よ、眺めはどうだ? よく見えるだろう。今宵はニ十三夜の月――願いが叶うと言われる月だ」
笑みを含んだ晦冥命の呼びかけに答える声はなかった。かわりに、驟雨に似たさざめきが一体に降り注ぐ。
土竜がいた場所には、天をも衝く勢いの巨木がそびえ立っていた。
邪気が体を成したかのような黒艶の幹、枝葉もすべて黒色の、見事な黒榊である。……折れ伏していた神木は、跡形もないほどに吹き飛んでいた。
「俺が生み出す闇の力は、月から引き継いだものだ。効力は受けるもの次第ってのが、気まぐれな月らしいというか……。いずれにしても、お前の欲深さは大したものだよ。まるで……バケモノだな」
晦冥命が幹を撫でると、忠誠を誓うかのように黒い枝がしなった。音もなく地を蹴った少年神は、先代よりも強靭に空を塞ぐ黒榊の枝葉を苦もなく通り抜けていく。十メートルはあろう大木の頂に立ち、まばらな秋の星が散らばる夜空を満足そうに眺め回した。細い首をもたげた命の濡羽色の髪が夜風になびき、雲母の輝きが闇を彩る。
「いまにも、月に手が届きそうではないか」
神の呼びかけに、葉擦れの音が徐々に大きくなり、不吉に森を揺り動かす。他の木々たちは枝葉を平伏し、鳥獣たちは巣の中で身を縮こませていた。
黒榊の――土竜の――歓喜の咆哮は、しばらくの間、止むことはなかった。
「お前のおかげで、森は真の闇を取り戻した。これで、俺も安心して過ごせるよ。木々の隙間から常に監視を受けて生きるのは窮屈でたまらないからな。……まったく、過保護にもほどがある。己の光を妨げる疫病神だと俺を見捨てたくせに」
晦冥命は夜空に向かって優美に微笑んだ。見上げる先に輝くのは、下弦の月である。
「お元気で。――父上」
ひらりと身を翻した少年神の姿は、たちまちに闇に掻き消されて見えなくなった。
黒榊の真上に架かる月は、一際強く白い光を放ち、夜空に怒りを吐き出した。
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