前編

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前編

 ぼすっ。 「んっっ!?」  突然、背中側に重量を感じて俺は仰け反った。  何かが急に落ちてきて、俺のパーカーのフードにすっぽり収まったような、そんな感覚だ。  なんとか体勢を立て直して、恐る恐る背中側、ずっしり膨らんだパーカーのフードに目をやると。 「……猫?」  そこには真っ白いふわふわ毛皮の、猫が一匹収まっていた。  掴み上げようとして、はたと気が付く。  この猫、背中に羽が生えている。天使のような、大きな羽が。それに手足も猫のわりになんか太い。  なんだこれは。こんな生き物が現実にいるなんて、あり得ない。  俺が混乱して固まっていると、手の中で、その猫らしい生き物がもぞりと動く。  うっすら目を見開くと、金色の瞳が、俺の目と合った。  そして相手は驚きに目を大きく見開いて。 「なんだ貴様は!?」 「喋った!?」  俺とそいつは道のど真ん中で、素っ頓狂な声を上げたのだった。  それから、俺は道端のベンチに座って、謎の生き物と状況を確認し合っていた。  謎の生き物は羽も動かさず、ふよふよと俺の前に浮いている。ますます訳が分からない。 「……はあ、つまりお前は猫じゃなくて天国の生き物で」 「うむ」  その生き物は尊大な態度で、俺の前で頷く。 「天使様に抱かれて移動していたら落っこちて、俺のパーカーのフードにすっぽり収まって」 「そうだ」  次いで発した俺の言葉に、このオスだかメスだかも分からない生き物はまた頷いて。 「で、何とかして天国に帰って天使様と合流したいと」 「そうなるな」  そして念を押すように話せば、この羽を持つ真っ白毛玉は腕組みして深く頷いた。  がくっと項垂れる。いやいや、天国って。そんなおとぎ話でもよくよく聞かない場所に、どうやって。 「いやどうしろって言うんだよ。そもそもどうやって地上に落ちてきたんだ、お前」  俺は呻いた。  この毛玉は天国から落ちてきたという。そこまではいい。  だがこいつを、何の変哲もない一般人の俺が、どうやって天国に帰せばいいのだ。死ぬのか。死ねば行けるのか。どうなんだ。  肩を落とす俺に、毛玉は不満そうに眉間にしわを寄せながら上を指さした。 「どうやっても何も、天国から落ちてきたに決まっていようが。こう、上から……」  そう言いながら頭上の、高層ビルが建ち並ぶ合間に見える狭い空を見上げて、ぽかんとする白毛玉。  しばらく硬直した後、再び素っ頓狂な声を上げた。 「あれ!? 天の橋は!?」 「何だよそれ、そんなもの、新宿どころか宇宙にも無いぞ」  俺は呆れ顔で一緒になって上を見上げた。勿論、高層ビルの間には何も見えない。見えるはずもない。  ようやく自分のよく知る状況ではないことを理解したらしい毛玉が、がっくりと肩を落とした。 「ええ……じゃあここは本当に下界なのか……天界ならいくらでも移動のしようがあるのに、しまった……」  そんなことを宣いながら、毛玉が尻尾と翼をへちょっと垂らした。どうやら落胆しているらしい。  そのまましばらく、何やら考え込み始める毛玉。いっそそのまま放置して立ち去ろうともしてみたが、縋りつかれたので諦めて付き合う俺だ。  そしてもふもふ毛玉が、肉球の付いた手をぽふんと合わせる。 「じゃあ、そうだな。きっと我が主が我を探して、下界に降りてきていることだろう。きっとこの街のどこかにいるはずだ。主を探す手伝いを頼みたい」 「まあ、それなら……」  話を聞いて、ようやく俺も諦めがついた。地上に探しに来ている主人をこちらも探す、というのなら、やりようはある。  あるのだが、俺は毛玉の額をつんとつついて言う。 「……で、それはいいとして、お前の主の天使様ってどんな見た目なんだ? 何も分からないと探しようが無いぞ」  その言葉に、ハッとした表情をする毛玉だ。説明を忘れていたな、こいつ。短いが太さのある手足をばたばたさせながら、それは俺に説明を始める。 「亜麻色の長い髪を一本に結んで垂らした美女だ。瞳は乳白色で大きく、肌は白樺の木の肌のように白い。名はガブリエルと仰る」 「大天使じゃねぇか!?」  主の名前を聞いて顎がストンと落ちた。ガブリエル、四大天使の一人じゃないか。そんな凄い天使について回っているのか、この毛玉。  なんか今からとんでもないことになりそうな、そんな予感がひしひしとする。  焦りだす俺の内心など気にもせずに、毛玉が俺にくるりと背を向ける、が。すぐにこちらを振り返って口を開いた。 「ああ、そうそう。自己紹介をまだしていなかった。我のことはツチラトと呼べ」 「変な名前……俺は亮輔だよ、安武(あべ)亮輔(りょうすけ)」  簡潔に自己紹介をしながら、俺は天使のネーミングセンスに疑問を投げかけた。発音しにくくないのか、ツチラトなんて。 「そうか。ではリョウスケ、我の主を探してくれ」 「いや、お前も自分で探せよ……」  俺の言葉に何を言うこともなく、毛玉――ツチラトが俺の腕の中にスポッと収まった。  抱いて探せというのか。自力で飛べるくせに。  俺は内心でため息をつきながら、ガブリエルを探すべく歩き始めた。
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