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遠い遠い昔の時代。
それが何時、何処での話なのか誰も知らない。
小さな村があった。周りを山に囲まれた、小さな小さな村。広い田畑と、質素でさびれた小屋のような民家がぽつぽつ点在している。
貧しい貧しい村。人々は、すさんでいた。
何故こんな寂れた村に生まれたのか。
稲作をしようにも、雨が降らない。ようやく実った米も、分け合ってはまったく満たされない。
神に頼もうが、一向に状況は良くならない。せっかく祀ってやっているというのに。
まったく、不幸な村だ!
だが人々は、愚痴をもらしつつも、大きな困難には、協力して立ち向かった。そうして、村の平穏は守られてきたのだから。
――この村に、ひとりの少女がいた。みすぼらしく、汚れた衣を着ている。両親はすでにいなかったし、分けてもらえる食料もわずかだった。
少女は、年頃の娘だった。妖艶な女性と言うのはいささか大袈裟だが、まさに成長途中。嫋やかで花のようだった。
黒曜石のような美しい瞳には、春の陽光のような、優しい光をやどしている。長い黒髪は、愛らしいふたつ結びでまとめられ、見ようによっては、魅力的な少女と言えるだろう。
だが人々に少女をめでる余裕などなかった。むしろ余計に食料が減るので、煙たがる者も少なくない。
それでも少女は、笑顔と優しさの光を失うことはなかった。彼女は幸せだった。
「何気ない日常を……今日という日を、私は生きることができた。これは素晴らしいことよね。だから、感謝しないと」
彼女がよく口にする言葉。少女は、わずかな食事に感謝し、その日を生きて終えられたことに感謝し、朝が来たことに感謝し、自然に感謝した。空に、太陽に、雨に、風に、大地に、動植物にも当然至極のように感謝し、手を合わせて祈る。
ある日少女は、村のはずれで古い社のようなものを見つけた。恐る恐る入ってみると、壊れた祭壇があり、薄汚れた神像が転がっている。
気の毒に思った少女は、神像の汚れを払い、ついでに社も綺麗にして、自身のわずかな食糧を備えた。
「神さま、お綺麗になりましたが、ご気分はどうですか?」
少女の笑顔が弾けたとき、静かな声が少女に聞こえる。
「おお、ありがとう。助かったぞ、心優しき娘よ」
神は、人とともに在る。忘れられたことで、力を失っていたという。
「娘よ、そなたの親切に報いたい。なにか願いを申してみよ」
少女は迷わず答えた。
「それじゃあ、村に恵みの雨を降らしてください。お米ができなくてみんなこまっているんです」
「お安い御用だが、良いのか? それで」
「はいっ!」
「わかった」
こうして、数日ぶりに村は雨に恵まれた。
そして少女は、普段よりも多くもらえた米をもって、社の神に礼を言いに行った。
「神さま、ありがとうございます! おかげでほら、こんなにお米もらっちゃったの」
少女はそう言って、また米をお供えした。
こうして、少女と神の御礼合戦により、村は少しずつ豊かになっていった。
それに気づいた村人たちは、少女を豊穣の巫女として崇め、彼女に頼んで多くの願いを叶える。
「ねえ、神さま。今度は質の良い鉄がほしいんだって。いいの?」
「ああ、おまえは心優しい娘だ。それにおまえの舞は、見ていて癒される。それに報いるのは当然であろう?」
「あ、ありがとう、神さま」
少女は、神の前で舞いを舞ってみたところ、神に気に入られた。それと日々の供物や祈祷に神は応え、少女に予言を伝えたり、加護をもたらしたりした。
「ねえ、神さま。次に大地の神さまがお怒りになるのはいつ?」
「ああ、それは四月後だ」
「わかった、ありがとう」
「ねえ、神さま。村に広まった呪いを払ってほしいの」
「ああ、わかった」
「ありがとう」
「ねえ、神さま……」
「ああ、任せておけ」
「う、うん、ありがとう」
村は、大きなクニとなった。祈祷の社も大きく作りなおされ、少女には、立派な巫女服が用意された。
社は、空高くに建造され、そこへ上がる階段ですら、巫女以外足を踏み入れてはならない。
彼女は、次第にずっと社に籠るようになっていた。祈祷と舞いを続け、神託を人々に伝える日々。
ある日、神が少女に声をかけた。
「おまえ、最近無理しておらぬか? おまえの優しい笑みが薄れておるぞ。無理ならば、巫女を辞めてもよい」
「ありがとう、神さま。でもね、私はみんなの笑顔が大好きなの。こんな私でも、みんなの役に立てるのが嬉しい。」
「さようか……」
「う、うんっ! 私は大丈夫だから」
巫女は、泣きそうな消え入りそうな顔で笑って見せた。
「……ねえ、神さま」
「ああ、わかった……」
少女は、それからも巫女としてあり続けた。
そして少女は、生まれてから十八回目の誕生日を迎える。
大きな戦で勝利したクニは、巫女の神託によって発展を続けていた。しかし、豊かになったクニの中でも、貧富の差はあり続けるし、巫女を崇めるばかりだった。
「我らには、偉大なる巫女さまがおられる。神託さえ聞いておれば安泰じゃ」
弱き人々を奴隷としてこき使い、また、野山を駆け回ることが大好きだったひとりの少女を、都合の良い巫女として縛り付けた。そんな権力者たちの得意な言葉だった。
だが、この年の夏、激しい雨風がクニを襲い、壊滅状態に追い込まれた。田畑は流され、貯蔵していた食料も、大半が失われることになった。
奴隷と化していた人々と、権力者たちのほとんどが命を落とし、権力者と神託に傾倒していた人々は、変わり果てた大地を見て、膝を折る。
「……こういう時、どうすればよかったか」
昔なら、災害に見舞われても、協力して立て直せた。人々は貧困で荒んではいたが、いざとなれば、協力して動くことができた。
だが、巫女の神託と、それをもとに指示する権力者と、何でもやってくれた奴隷がいない今、人々は動けなかった。富を得る代償として、助け合いを……自分の確固たる意志で生き抜こうという心を失っていたのである。
「巫女さま、わしらはどうすればええ?」
「田んぼが水びたしじゃ」
それを聞いた巫女は、また神託や予言を持って人々を導いた。
そして数か月の時が流れる。復興はほぼ巫女の指示で進められたが、遅々として進まない。クニは、依然荒廃したままだ。
力なく自分を見上げる人々をみて、少女はなにかに気づいたようだった。
「みんな、私がきっとこの土地を支えるから、だから……だから、思い出して。辛くても、打ちのめされても……神託なんて無くたって、私たちは自分の意志で考えて、自分の手足で道を切り開けるの」
「だが、どうすればいい?」
「うん、そうよね。私の思いって結局、そうだったのよね」
「巫女……さま?」
「大丈夫よ。この土地は蘇るわ。他でもない、みんな一人一人の力でね」
巫女はそう言うと、どこかへ行ってしまいそうな微笑みを残して社へ上がっていった。
その夜は満月だった。中天に月が昇ると、クニは穏やかな月光に照らされる。
「ねえ、神さま」
「どうした、こんな時間に。なにかお願いか?」
「うん、これが最後のお願いになるわ」
「最後? どういうことか」
「神さま、お願い。どうか…………して」
暗い社に、夜風が吹き抜けた。
「よいのか? それで。たしかにそれだけの代償があれば、それは叶えてやれる。だがそのようなやり方、おまえも、民も、望まぬはずだ」
「ううん、いいの。私は生まれ育ったこの村が好き。だから、ずっとここにいたい、守っていきたいのよ。どんな形であれね」
「もう、覚悟したことなのだな」
「うん、身勝手だってことは分かってる。でも、人々を狂わせてしまったのは私みたいなものだから。せめてみんなに、あの助け合いの日々を取り戻してほしいの」
「わかった。おまえの最後の願い、しかと聞き入れたぞ。あとは任せるがよい」
「うんっ、ありがとね、神さま……」
少女は月明かりのなか、静かに微笑んでいた。
満月が彼方に消え、次の陽光が昇るとき、人々の眼に飛び込んできたのは、金色の草原。
「おお、見ろ! 稲だ! 奇跡が起きたんだ」
「稲が実る。朝が来る。当然のことだと思っていたが、ありがたいことなんだよな」
あまりにも美しい稲たちをみて、人々は思い出した。この美しさは、多くの苦労と、自然の恵みがあればこその賜物。
豊かな生活はすべてが当たり前にあるようで、苦労して働くことも、そこで得られる喜びも、感謝の心も忘れかけていたのだ。
「そうだ、この胸を打つような感情。これは感動……そして感謝のこころだ。生きていることは当たり前なんかじゃない。俺たちは、命への感謝を忘れかけていた」
「これからは、自分たちの意志で、この絶景を守っていこう!」
人々を感激させ、思わず胸を撃ち震わせるほどの光景により、彼らはなにかを取り戻した。
そして自分たちのなかから、必要な人選を行ってクニの再建はようやく進みはじめる。
時は経ち、クニ中が感謝の言葉や穏やかな笑顔に満たされ、人々は少しずつ生活を取り戻していった。
ある日、昔からこの地に住む翁と、少し前にやってきた旅の若者が、金色の田んぼを見ながら言葉を交わしている。
「だが、あの娘はどうしておるのじゃろうな。稲が実ったあの日以来、社にも姿を見せないがのう」
「あの娘?」
「そうじゃよ、ってお前さんは最近このクニに来たのだったな。数年前までこのクニは、巫女さんが神託によって治めていたようなもんじゃった」
「へえ、巫女さんね。俺は旅の途中で聞いたことがあるくらいだな。ちぇ、ひとめ見たかったぜ」
「だがのう、今じゃから言うが、わしは、絢爛な巫女服を着て祈祷する姿より、質素な衣を着て、稲穂のなかを無邪気な笑顔で走り回っているときのほうが、輝いてみえたがの」
「へえ~、おじいさん、その娘に詳しいんだ」
「まあの、あの娘の両親と少し縁があってな。ふたりが亡くなってから、少し世話をしておったのじゃ。明るく春の日のように笑う、愛らしい娘じゃった」
「そいつはますます会ってみたいな」
ふたりは、静かに稲穂の海を眺めた。
『私はずっと、ここにいるよ』
「ん? じいさん、いま何か言ったかい?」
「いいや、わしはずっと黙っておったが?」
「そうかい。巫女ねえ……。案外、すぐ近くでこのクニを見守ってるかもしれねえぜ」
気さくな若者は、そう言葉を残し、宿を探して去って行った。
それ以後も、あの少女を見た者は現れない。だがこの地の稲穂は、無邪気な彼女のように、毎年元気に実り、夕暮れ時の陽光は、少女の温かな笑顔のように穏やかなものだった。
「夕方の巫女さん。霊能力者の俺に惚れたのかねえ。まあ俺ってば見た目秀麗だからむりもない」
若者は、窓から外を眺めた。今は使われていない祈祷の社が、今もクニの中心地にそびえ立っている。
「しっかしまあ、よくやったな。自分を人柱にして大地を蘇らせるとは。それで超満足して稲穂のなか走ってるんだもんなあ。まったく、お人よしの究極だぜ」
そう呟いた若者は、夜半に仮宿を発ち、一番広い田んぼのまえに果物を供えると、人知れずクニを去って行った。
そしてこのクニは、恒久的な平和のなか、長く続いたという。
『ありがとうね、神さま』
『まったく、私の命と引き換えに稲を実らせて、その稲が人々を奮い立たせるようにして。などと頼まれたこともないわ』
『いいじゃないの、別に。こうしてみんな自分の意志で働くようになったんだし』
『まったく。それはそうと、おぬし、また勝手に我の菓子を食したであろう?』
『ぎくっ! そ、そそそ、そんなことするわけないでしょう』
『おぬし、神と通じ合える力を持っているからといって、調子にのるでないぞ』
『は、は~い、以後気をつけま~す。ねえ神さま、お願い。許して』
少女の無邪気な笑顔は、生前と全く変わらぬ輝きを放っていた。
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