二人:コンプリメンタリーカラー 2

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○ ○ ○  104号室を訪れると、伏屋と、もう一人が机に座っていた。  背中まで伸びる明るい色の髪が緩くカールしていて、春らしいパステルイエローのワンピースに身を包んでいる女生徒。ふわりとした印象が非常に女性らしさを際立たせる、その正体は。  この研究室で唯一無二の可憐な花――橋原唯花(はしはらゆいか)嬢、その人である。  現在M1。河村と同期で、伏屋率いるグループで研究をしている彼女は、ここではまさにアイドル的存在である。思わず僕のシグナルランプも黄色にパカパカ光るというものだ。  ただ、そんな彼女もやはりこのおかしな研究室にいるくらいだから、隠し種の一つや二つ、持っている。以前、ここら一帯をなんとなしに徘徊していたのだが、その際たまたま、本当にたまたま、彼女のバッグの中身が見えてしまったことがある。財布や化粧道具、アクセサリ等のお洒落なアイテムに混じって見えた無骨なそれは、僕の知識が正しければ、スタンガン。  なぜ彼女がそんなものを所持しているのか。当時の僕は可能な限りの推測をしたが、どうにも先にメモリの限界が訪れたので、そっと記憶の片隅にしまうことにした。あれはいったい何だったのだろう。もしかしたら僕は機械でありながら、夢なんてものを見たのだろうか。  いや、まあ、うん。そんなことはどうでもいいか。今の僕の使命は彼女にこの紅茶を届けることだ。彼女は紅茶がとても好きなのだ。  橋原は僕の来訪に気がつくと、わざわざ椅子から降り、淑やかに屈んでから声をかけた。 「あら、シータちゃん。何かご用?」  そう。あなたに、是非、この紅茶を。 「これを私に? 」  僕は小刻みに前後して肯定を示す。 「そう、どうもありがとう。ありがたく頂くわね」  橋原は、その名の通り花のような笑顔を浮かべると、僕の上に乗るティーカップを両手で丁寧に取り上げた。そうして可愛らしい桃色の財布を取り出し、数枚の硬貨を代わりに置く。 「じゃあこれ、お代。余ったら寄付でいいわ。ふふっ、河村くんは、あなたにこんなことまでプログラムしたのね」  彼女は嬉しそうに僕のボディを撫でた。  すると、ずっと書類に目を落とし続けていた伏屋が、僕らに気づいたようで顔を上げる。 「ん? 橋原さん、どうかしましたか?」 「はい。シータちゃんが紅茶を持ってきてくれたので」  橋原の机に置かれた紅茶を一瞥すると、伏屋は目を細めて僕を見る。 「そうですか。君は、なかなか気が利きますね」  えへん!  そこで伏屋も小休止をとることにしたらしい。デスクワーク用に掛けていた眼鏡を外す。 「そういえば橋原さんは、新入生の二人とはもう話しましたか?」 「ええ、はい。それなりには」  橋原は答えながら椅子に腰かけ、くるりと身体を回転させて伏屋の方を向いた。 「どうでした? 初めての後輩は」 「とてもいい子たちだと思います。沢くんはとても明るくて、すぐみんなと仲良くなっていました。まだ研究の方は知らないことも多いみたいだけど、梅田先生に、実験のやり方とか、色々教えてもらっていましたよ」 「ああ……梅田くんもなかなか賑やかな方ですが、そこに沢くんが加わるとなると……計り知れないものがありますね」 「そうですね。樋尾先輩が上手くとりなしているのを、よく見かけます」  最近の沢は、以前ほど無謀な脱走を試みたりはしない。それでも、梅田と何かを行えば高確率で騒動を引き起こしている。大声を張り上げて口論をしていることもあれば、沢が梅田をおだてて、二人して暴走していることもあるのだ。まったく平和な光景である。  次いで伏屋は、もう一人の新人についても橋原に尋ねた。 「白坂さんはどうですか?」 「彼女は、とても真面目ですね。もう既に何度か、研究についての質問を受けました」 「そうですか。仲良くなれそうですか?」 「打ち解けるまで、ちょっと時間のかかる子だなとは思いましたけど、私から積極的に声をかけていこうと思ってます。席も隣同士だし、女の子の後輩は、とても嬉しいので」  橋原はそう言うと、胸の前で手を合わせ微笑む。 「はい。是非、そうしてあげてください」 「すごく可愛いですよね、白坂さん。先生もそう思いませんか?」 「え?」  気になることを聞き終えた伏屋は、仕事に戻ろうとしていたようだ。しかし橋原に突然そう尋ねられ、少し驚いたような声を出した。 「え、ええ、そうですね。綺麗な子だと思います」  平静を装い、伏屋はゆっくりとそう答える。  すると橋原は「ふふっ」と笑って伏屋に言った。 「大丈夫ですよ、奥さんには言いませんから」 「橋原さん、教員をからかうものではありませんね。前に頼んだデータの解析、見ましょうか?」 「あら、残念です。解析結果はもうすぐ見せまーす」  そんな二人の会話を背に、僕は進行方向を廊下へ向けた。  よかった。どうやら沢と白坂は、お互いはともかく、それぞれではそれなりに上手くやっているようだ。沢は相変わらず来るのが遅ければ帰るのは早い。白坂は歓迎会の日もあまり周りと話さないままに一次会で帰った。そんな話も耳にしていたところだったから、今の橋原の話は、僕としても安心できる。まあ欲を言えば、沢にはもう少し真面目に、白坂にはもう少し気楽になってもらいたいところだが、悲観せず気長に眺めていくとしよう。もしかしたらそのうち、二人が、二人を足して二で割ったくらい、ちょうどいい感じになるかもしれない。
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