二人:コンプリメンタリーカラー 3

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○ ○ ○  最近になって、実験室で沢の声を聞くことが増えた気がした。 「河村せんぱーい。実験手伝ってくださいよー」 「えー。僕、理論家だから、実験はあんまり得意じゃないんだよね。ていうか、練習実験なんだから、僕が手伝っちゃ駄目でしょ」 「いやいや、困ってる後輩を助けるのは、先輩としての義務じゃないっすかー?」 「白坂さんと一緒なら困らないでしょ」  夕刻。実験室を出入りする河村に、沢は何度かそう縋り付くが、全て素気無くあしらわれていた。「まあ頑張ってー」と抑揚のない声を残して去っていくあたり、河村はもう、沢の扱い方を心得たようだ。  沢はうなだれつつ実験台に向き直る。 「くっそ、お前のせいで河村先輩に逃げられたじゃねーか」  毒づく沢の隣では、白坂が黙々と作業をしている。ここ数日の成果として組み上げられた測定器を動かし、数値をノートに記録しているのだ。 「口ばっかりじゃなくて手も動かして。さっきから何度も中断し過ぎよ」  白坂は沢の文句を完全にスルー。これもこれで、沢の扱い方としてはありなのかもしれない。 「はあ……お前はもう少し口も動かした方がいいと思うけどなぁ。この前なんか、いきなり現れて連れて行こうとするし」 「あなたが約束した時間に来なかったのがいけないんでしょう」 「俺、あれからサークルの奴らと飯だったのにさ。あんな強引に連れてったら誤解されるぜ?」 「誤解は誤解よ、事実ではないわ。あと『お前』じゃない。いい加減にして」  言いながらも、白坂は淀みなく手を動かしている。そして定められた一通りの作業を終えると、沢に向かって合図を出した。 「ったく、それこそどうでもいいことだろ……っと」  合図に従い、沢が測定器の調整を行う。総じて、科学における実験というものは、こうした地味な作業の繰り返しなのだ。そして調整が済むと、再び白坂が数値の記録を取り始める。 「よくないわ。定義されたものはちゃんとその通りに呼ぶべきだもの。そうでしょう、沢叶夜」 「はいはい、そうですね。白坂凛璃さん」  根負けした沢がお手上げのポーズをしながら天井を見上げる。そうして、今日何度目かの溜息を零しながらぼやいた。 「あーあ……大事な青春だってのに、こんな窓もない実験室に籠ってていいのかよ。もっとさー、楽しいことしなきゃあさー」  張りのない沢の声が、実験室の少し冷えた空気に散っていく。数歩下がって壁に背を預ける彼の視線は、自然と白坂に向いていた。静かな実験室では今、白坂の手元からのみ、小さな筆記音が生まれている。彼女の白い手が、ただ淡々とノートの上で踊るだけだ。  そしてしばらくのち。彼女はコトリとペンを置き、冷めた声でこう言った。 「青春なんて終わったでしょう。私たちはもう大人。とっくに二十歳も超えたんだから」
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