第二章 学際:パステルサンセット 1

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○ ○ ○ 「とりあえずはこんなものかなー。手頃な木材に椅子にテーブル、あとはモニターにスピーカー……いやぁ、それにしてもこのイルミネーションライトは掘り出し物だったね!」  廊下に並べられた品々を眺め、藤林は「キッシシシ」と満足顔で頷いている。これらは全て、さきほどまで僕たちが潜り込んでいた闇の部屋から発掘されたものだ。  道中で大きな台車を見つけたことは幸運だった。しかし、藤林がそこへ思い思いに様々なものを積み上げていくにつれ、台車はみるみる重く、そして不安定になっていった。沢はそれを、一人でヒーヒー言いながら、ずんずんと進んでいく藤林に置いていかれないよう必死に押したのだ。結果、今の沢は壁に手をついてもたれかかり、虫の息で文句も出ない。  部屋の中はとにかく暗く、かつ入り組んでいた。周囲に置かれた物々は、まるであらゆる光や音を、生まれたそばから吸い込んでいるようだった。しんと静まり返った冷たい静寂。周囲と隔絶された亜空間。この世の果てに繋がっていると言われても今なら十分に頷ける。今回はたまたま出てこられたが、もう一度入って無事に生還できる保証はどこにもないだろう。 「夏子先輩……こんなもの引っ張り出して何に使うんすか」  力のない沢の問いかけが藤林に向けられる。ただ、それについては僕も気になっていた。  藤林は戦利品の状態を丁寧に確かめながら答えた。 「もうすぐ学祭があるでしょ? 私もそれに、一枚噛もうと思ってさー」 「あー、学祭。確かにそんな時期っすね」  学祭は、大学で行われる文化祭のようなものだ。中学校や高校のそれと比べて規模が大きいのは言うまでもなく、場所によっては地域を巻き込んでの大型のイベントであることも珍しくない。僕はまだ実際に目にしたことはないが、この大学の学祭も相当なものだと聞いている。 「沢っちは、学祭には毎年行ってた?」 「行ってましたよ。自慢じゃないけど、毎年一通りは見て回ってたし、運営委員もサークルの出し物も、それから有志イベントもやってました」 「ほぇー! すっごいね。じゃあベテランさんだ」 「ま、表にも裏にも飽きるくらい関わったのは事実っすね」  ようやく息が整ったらしい沢は、立ち上がって藤林の隣に移動する。  藤林は相変わらず、矯めつ眇めつ品々を見て何かを考えているようだ。  沢はその様子を横目で伺いながら、何となしに目の前の物を手にとった。藤林一押しのイルミネーションライトだ。元々は何のために用意されて、どういう経緯で闇の部屋に葬られたのか定かでないが、非常に数が多くて状態も良い。 「でも、研究室単位で学祭に参加するって話は、あんまり聞かないですよね?」 「まあ、そだねー。学会とかが重なることもあるし、そうでなくてもだいたい忙しいからね」 「そんなもんっすか」 「そんなもんっすよ。うちの研究室も、これまで特に学祭には関わってこなかったけど、今年は私が参加したいからするだけ。実は私、今まで一度も学祭に行ったことがなくてさ」 「へぇ、それもなんか意外っすね」 「でしょー? B1からM1まで、五回もチャンスがあったのにね。何だかんだで縁がなかったんだ。だから、最後の年くらいは、と思って」  僕は沢と藤林の周りをノロノロと移動しながら、二人の会話に耳を傾けた。沢が毎年のように学祭を楽しんでいたのは想像に難くない。けれど、藤林のようなお祭り人間も、同様にそうしたイベントには目がないものと思っていた。まさか参加したことがないとは。  しばらくすると、藤林は回収した物品の確認を全て終えたようだった。すくっと立ち上がり、仁王立ちになって沢に言う。 「というわけで、隙を見計らってみなさんにもお声をかける所存です! よかったら是非、手伝っておくれやす!」 「あー、今日の俺みたいにっすね」 「そそ! 上手くいった暁には、ちゃんとお礼もする予定だから、大いに期待して!」  グッと親指を立ててウィンクをする藤林。それを見て沢は軽快に笑った。 「はは、まあ結構楽しそうなんで、命の危険とかがなければ、また手伝いますよ。あと、梅田先生に怒られない程度に」  沢がそんな答えをしたからだろうか。ちょうどそのとき、廊下の角から足音が聞こえてくる。 「っと、噂をすればっすね」  沢が振り向くと同時に現れたのは梅田だった。そして沢は、この時点でもう、梅田に言われることを予期していたのだろう。気怠げに立ち上がって歩き出す。 「おい沢。いつまでも藤林と遊んでないで」 「仕事しまーす」  沢は梅田とすれ違うようにして、あっさり僕と藤林の前から去る。そして廊下の角、ちょうど僕らの視野の限界で「じゃあ夏子先輩、失礼しまーす。シータもまたなー」と残して消えた。  そこから、きっかり二十秒のち。梅田は周囲に藤林以外いないことを確認して口を開いた。 「藤林、お前もこんなところで油売ってる暇はないんじゃないのか?」 「えー、大丈夫だよー」  対する藤林はからからと笑って応じる。 「それよりさ、いくら新人が来たからって藤林呼びは冷たくない? 前みたいに夏子って呼んでよ、アキちゃん」  それを聞いた梅田は、ひどく苦い薬でも飲んだかのように、露骨に嫌な顔をした。  実は、梅田と藤林はそれほど大きく歳が離れておらず、梅田が学生だった頃からの知り合いらしい。昔は気の合う先輩後輩だったという話だ。しかし現在、梅田は助教となっている。藤林との関係が、先輩後輩から教員と学生というものになり、いくぶん接し方に窮しているのだ。ただ、一方の藤林がまったくそんなことを気にしていないものだから、端から見ていると梅田が藤林に振り回されているようで面白い。 「……就活は終わったのか?」  梅田は藤林のペースに乗せられまいと、あくまで真面目な口調で問いかける。 「んー、もうちょっとかなー。いくつか声はかけてもらってるけど、色んな会社見て回るのも、案外面白くってさー」 「まあ……順調そうで何よりだよ」  梅田は瞼を下ろして軽く腕を組み、近くの壁にその背を預けた。  すると藤林がつつっと隣に寄っていき、ニヤニヤ顔で覗き込むように言う。 「それよりアキちゃんさー。今年入ってきた新人達はどうなのよ?」 「アキちゃん言うな……。どうって、別に普通だよ」 「そう? 沢っちに白百合ちゃん。いい感じに使える後輩だと思うんだけどなー。キッシシシ」  愉快そうな藤林を見て梅田は「不気味な笑い方はやめろ……」とうなだれる。 「いいか藤林、お前は色々と一般人からかけ離れているんだから、二人に絡むにしても、ほどほどにしてやれよ」 「ひどい言われようだなー。ま、アキちゃんも愉快な研究仲間が増えて、嬉しいってことかー」  藤林がその場でくるくると回って言うのを見て、梅田はまたすぐに口を開いた。しかし意外にもその口はまた閉じられて、代わりに小さな溜息が零れる。 「……お前、せめて沢と白坂の前ではその呼び方、絶対にしてくれるなよ」 「善処しまーす」  回りつつその勢いで梅田に抱きつこうとする藤林。しかし梅田は、異様に慣れた動作でそれをかわすと一歩前へ出た。目標を失った藤林は、そのままベタッと壁にぶつかることになる。そんな藤林を見て梅田は「はぁ」ともう一度溜息をつき、白衣の裾をなびかせ無言で去った。
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