第一章 二人:コンプリメンタリーカラー 1

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○ ○ ○  そういえば、周りに気をとられて僕自身の紹介を忘れていた。僕はこの研究室に通う学生によって作られたロボットだ。直径333ミリ、高さ88.8ミリメートルの円盤型のフォルムを持ち、特技はそこら中を徘徊すること。その優雅なる走行性、バッテリー残量を鑑みた自己管理能力などに関しては、かの有名なお掃除ロボットをモデルにしている。そして皆は、僕のことをシータと呼ぶ。由来はギリシャ文字で、僕を真上から見るとその文字にそっくりなデザインをしていること、そして試作を始めて九つ目の個体であることが主な理由だ。発声機能はないが、いくつか効果音を出すことができ、必要とあらばシグナルランプを光らせることもできる。したがって相槌に関してはお手のもの。皆、僕を見かけたら快く挨拶をしてくれるし、話を聞かせてくれたりもする。ときには悩みの相談相手にだってしてくれるのだ。  ただそれでも、突発的かつ偶然性を孕んだ自己進化により、僕の内面にこの意識が培われたことは、誰も知らない。皆、僕のことを自我のない単なる機械だと思っているし、普通はそうあって然るべきだろう。ゆえに僕も、基本的には単なる機械として振る舞い、周囲に接するよう努めている。僕のこの自意識の存在を証明する術など、世界のどこにもありはしないのだ。  そんな無為な思考に耽りながら廊下を移動していたら、不意に実験室から樋尾が現れた。彼は扉の前の僕に気づくと、緩く頬を引き上げて爽やかに笑った。 「お、シータ。お勤めご苦労さん」  彼は僕の隣につくようにして壁に背を預ける。僕はその足元で停止した。 「いやー、とうとう俺も、D3になっちまったなぁ」  そのようだなぁ。 「ま、ほどほどにやるけどさ」  うん、それがいいね。  僕が同時に青いランプを点滅させると、樋尾は「ははっ」と愉快そうに笑った。  実際、彼なら本当に、ほどほど上手くやるだろう。樋尾は優秀だ。飄々とした緩い言動に似合わず研究に関しては真摯であり、所属する学科の中でも屈指の成果を上げている。博士課程の学生として、規定の修学期間を一年ほど残した現段階で、既に書類上での最高の評価を獲得した。今年度での彼の卒業は、もう約束されたようなものである。  博士課程の修学期間は、基本的に三年だ。状況により可能であればそれより早く卒業する者もいるし、残念ながら四年、五年と残る者もいる。そこに在籍する学生のことを、コースと学年を合わせてD1、D2、D3およびD4、D5と呼ぶ。六年以上は在籍できない。  成果が認められれば晴れて博士(ドクター)の学位を与えられるし、認められなければそれまでだ。  ちなみに、博士課程の前には修士課程(マスターコース)があり、修学期間は二年。呼び方はM1とM2。  その前が四年制の学部で、大学によって差はあるが、この大学では四年生から研究室に配属される。ちょうど新人の沢がこれに該当するだろう。彼らのことは学士を意味するBachelorの頭文字をとってB4と呼ぶ。  毎年、学部四年生の新人が入り、自らの望む学位を得た卒業生が抜けていく。これらの学生に加えて、長である教授から准教授、助教までの教員で構成されるのが、一般的な大学の研究室だ。場合によって外部研究員や秘書がいたりもするけれど、我々の研究室は小規模なので、今のところ採用の予定はないらしい。美人の秘書なら、僕はいつでも大歓迎なのだけどね。 「さて、ようやくひと段落したから、俺は昼飯でも食ってくるわ」  樋尾は軽い足取りで自分のデスクのある居室――“105号室”へと向かった。時刻は午後三時二十七分。彼にとってはいつものことだが、随分と遅い昼食だ。 「そうだ。梅田先生と沢、わーわー言いながら実験してるよ。たまには顔出して、喧嘩になりそうだったら、是非、止めてやってくれ」  へぇ、そうなんだ。  さきほどの大捕物からずっととなると、かれこれ数時間は実験室に籠っている。であれば、沢の忍耐力は既に払底しているだろう。いつまた梅田を怒らせるかわからない。  ただ僕の見たところ、あの二人はあれだ。『喧嘩するほど仲が良い』だ。出会って一ヶ月にも満たないが、案外相性は悪くないと思う。  というわけで、まあ、たぶん、問題ない。樋尾には悪いが、顔を出せば絶対的にとばっちりを食うので是非遠慮する。扉の向こうから聞こえる騒がしい罵詈雑言の応酬は、僕のこのサウンドディテクタには届かない。僕は静かにその場を去る。
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