揺らぐウェイヴ

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この店の幽霊みたいな存在感に惹かれて入店すると、商売っ気の無い声で 「いらっしゃい」 と白髪のマスターが差し出したのはメニュー表ではなく、経済新聞とガラス灰皿。 全く商品のイメージをつかめないままに 「ランチひとつ」 と注文すると 「ナポリタンとミートソースどっちが良いですか?」 なるほど、その二択だったのか。 どちらも大差ないじゃん!と心の中でツッコむ余裕がまだあるんだと安堵するうちに、ナポリタンを注文した。 うんうん、ナポリタンね。 と何か自問しながらマスターはくの字に曲がったプライパンに火をかけ、だいぶ遅めのランチサービスを調理を始めた。 その片手間、対面にいる猫二匹に夕飯のキャットフードとグラスウォーターを差し出した。 赤虎柄の若猫はそのグラスを拒み、カウンターテーブル端からキッチンの蛇口へと四つ足を運んだ。 ステンレスの洗面台の縁取りをサーカスの綱渡りのように音も立てずに進んでいく。 「そうか、今日はこっちの水が良いのかい?」 マスターが蛇口をひねると、若猫はぺろぺろと流れる水をなめだした。 その様子を固形のキャットフードを食べる灰の虎柄の老猫が横目で見ている。 そんな全体像を僕はカウンター席からずっと俯瞰して見惚れている。 セピアに汚れたジャズコンサートのポスター。 さびた鉄の引き出し。 天井のアナログTV。 それらが古美術のように我々をひっそりと囲う。 僕は横目で老猫の方を見る。 若猫と対照的に静かに空き缶に入ったキャットフードをのろのろとまだ食べている。 でもどこかバランスがおかしい。傾いている。 その理由は彼が若猫の方へ向いた時にわかった。 右足が無いのである。 かかとまでが綺麗に欠けていて、彼の足先はずっとフサフサもこもこしている。 「すいません、この猫、触ってもいいですか?」
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