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「ああ、そういうのなら任せてくれ。俺はIT(あいてぃー)には強いから!」  父キサブロウが居間のテレビの前でスマートフォンを握って大きな声で話している。高齢者に分類されるとは云えまだそれほど耳は遠くないのだがテレビの音量が大きくてそれが邪魔になってよく聞こえないのだろう。テレビの方の音量を落として話せばいいと思うのだが、父はそういうことはせず、テレビの音量に対向するように声を張って話す。あれだけ大きな声だと、電話の相手もさぞよく聞こえるだろう。そして、居間で同じ空間にいる私も、テレビと父の話し声とで実にうるさい。まあ、云ってもしかたのないことだと諦めている。その代わりに、私はテレビのリモコンを取って音量を下げる、そうすると父の話し声も自然と小さくなるのだ。だが、それでメデタシと上手くいかないときもある。電話に集中しているかと思えば、 「なんでおまえはテレビの音を下げる。大きくしておけっ!」  そう云って私からリモコンを取り返し、またテレビの音を上げる。そしてそれに連れて父の話し声もまた大きくなるのだ。父は、聞こえないから音を大きくしているのではなく、テレビの音は大きく迫力があるのがいいからそうしている。テレビの音量は番組によってたまに思わぬ大音量になったりするが、そんなときは窓ガラスがビィ~ンと振動で震えたりする。  父は自分でよく「ITには強いから」と人に云うが、ITというか電機製品一般に興味がある。テレビも大画面液晶テレビがよくて、部屋の広さに対して相応しくないような大きさで、それを家具の配置の関係で壁際ではなく窓際に設置したため、窓を開けるのが難しくなってしまっている。外の光もテレビが一身に受け止めて、部屋が暗くなっている。そのテレビの台の部分にはオプションの外部スピーカーを設置している。そのテレビの前にテーブルといすが設置されているのだが、父はテレビが真正面に来るように座るからいいのだが、私はテレビに対しては横向きになる形で座るから、テレビが近すぎて見づらいし音も大きすぎる。だからといって、父の隣でちょこんと二人並んでテレビを見るのも嫌なので、私はほとんど居間ではテレビを見ないことにしている。  父は電話でまだ話しを続けている。パソコンだとかスマートフォンだとか、それに関わるアプリの話だとか、そういうことに関して、同年配の友人知人に「俺は強い。得意だ」と吹聴しているから、それを鵜呑みにした人から操作についての相談を受けたりするのだ。だが、大概の場合、その相談はらちがあかないままで終わる。私は横で父のそういった電話の会話の内容を聞くとも無しに聞いていて、(ああ、あのアプリのこの設定について聞いているのだな)と思ったりするが、だからといって横からアドバイスなどはしない。そんなことをすれば「よけいなこと云うな。うるさい」と怒鳴られるのが関の山だからだ。  父の電話が終わった。私は頬杖を突いてテレビに顔を向けたまま耳だけは父の会話に向けていた。『何らかの機器の、何らかのアプリについての、解決の見えない長い話し合い』は、双方納得ができたのか諦めたのか「そうしてみてくれ」「そうしてみます」という曖昧な合意にこぎ着けたようだった。それはいつもそうである。  電話が終わると父はすぐに、 「これ、いいな」と、今テレビに映し出されている、小型のマッサージ器に身を乗り出して目を見張った。今まで電話で話をしていたのに、半分はテレビの通販番組に注意が行っていたようだ。これでは、何かの相談に電話して来た相手も無念なことだろう。 「どうせ2,3度使ってすぐお蔵入りになるんでしょ」  私は父に顔も向けず、そう云った。 「おまえはホントに、人が楽しみに話していることに、いちいちそうやって難癖を付けて、どうしてそういう風に育ったんだろうな。悪いクセだ」  父も一際大きな声で私に云い返して来た。  うちの家は、父母と息子の私の3人暮らしだったが、5年前に母は病気で他界した。だから今は、父と私の二人暮らし。母が生きていたときは、父がこうして何か買おうとすれば「無駄遣いはやめてくださいナ」とさらりと一言でそれで父は引き下がっていたのだが、今私が云っても無駄なことだった。つまり父は、妻の云うことなら受け入れざるを得なかったが、息子の云い分は軽く見ていると云うことだ。 私は家庭内の仕事という面で母の代わりという感じになっている。炊事、洗濯、掃除、その他雑多なことはほぼ私がやっている。父は古いタイプの人間だから家庭的ではない。「男子厨房に入らず」でインスタントラーメンも自分では作れない。全く手が掛かる。母には、「妻」という立場の強みがあったけれど、私は「息子」だからと下に見られているのがキツい。それは真剣になるほど顕著だ。だから私は、父と同居して世話をしているというより、もう少し距離を置いて「親という名のペットを飼っている」くらいのつもりで接している。  そうこうしているうちに、父は通販番組のマッサージ器に心を奪われたようだ。繰り返しの効果説明に見入っている。これは恐らく買うだろう。 『お電話混み合っております。少々お待たせするかも知れません。ネットでのご注文ならお待たせしません』  通販番組の司会者は、ネットでの注文へ視聴者を誘導している。しかし、父はテレビを見ながら必死に電話を掛けている。 「くそっ。電話が繋がらない」  父は何度も電話を掛け直す。 「ネットならすぐだと云っているが」  私がつい、そんなことを口走ると、 「いや、オペレーターに色々聞きたいこともあるからな。こういうのは電話じゃなければ安心できん」  そう云いながらも電話が繋がらず、そのうちに注文したかった色のマッサージ器が売り切れになってしまい、悔しがりながら、 「きょうはやめておくか」  父は諦めてしまった。  マッサージ器を欲しがりながらもその色が大事で、ITに強いと云いながらも電話でのアナログ対応に重要性を見いだす。父はなかなか複雑だ。
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