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 父が一存で購入した新しい洗濯機が届いて、説明書を読んだ。前の洗濯機はけっこう長い間、そう、20年以上使っていたと思う。洗濯物を放り込んでふたをしてスイッチを入れて終わり。実に簡単だ。迷いようがない。説明書もいらないような、そんな洗濯機だった。今度の洗濯機はだいぶ違う。やたらとスイッチが多い。選べる選択肢が多いのは確かにすごいのだろうが、うちの洗濯にそんな細かな気配りはいらないように思う。説明書と洗濯機本体と見比べながら首っ引きで小一時間も使った。そうしている横を父が何度か通りかかった。 「どうだ、いいだろう。早くなにか洗って見ろ。きっと相当違うぞ」  父は自分の創作物でも自慢するように云ってくる。が、自分では使わない。使うのは私。父は私が良好な感想を云うのを期待して、それが待ち遠しいのだ。 「ううん。もう少し待ってください。……洗濯ってこんなに『コース』が必要なのかな」  父は自分で通販番組を見て気に入って買った洗濯機だから、スイッチ一つでまるでパパッと魔法のように洗濯が終わると思っているのだろう。確かに一度使い勝手を覚えれば、設定はそんなに変えないのだろうとは思うが、とにかく最初はそうはいかないのだ。 「ううん……」  父に見向きもせずに説明書に見入っている私に父は云う、 「おまえは頭が固いな。まず使ってみて、それで覚えていけばいいんだ。失敗に学ぶんだ。おまえは最初から成功しようとするから結婚も出来ないんだ」  私は余計なことまで引き合いに出されて少しムッとしたので、顔を上げて父の腹に短刀ででもするように説明書を突き当てた。 「じゃあ、自分でやってみたらいいじゃないですか」  父は、洗濯機を使えるようになれば洗濯も自分で出来るわけで、やぶ蛇になるからそれを察して、 「とにかく、早く使って見せろ。それが見たいんだ」  自分の希望だけ云ってあとはうやむやにしてトイレに入ってしまった。  やっと洗濯機の概要を掴んで動か素所までこぎ着けた。洗濯物は少量だが、試運転にはこれでいいだろう。私は洗濯から乾燥まで一気に行うように設定してスイッチを入れた。洗濯機の前面の操作パネルに幾つもの小さいランプが灯って点滅する。それを見て私はもう一度、 「洗濯ってこんなに複雑なのかな……」そう思った。そして、母がこれをもし使っていたら、どう思うのだろうとも思った。  洗濯機が動き出して、私はその場を離れた。乾燥が終わるまでは相当に時間が掛かるようだった。その間も父は、時々洗濯機の様子を見に立って行き、洗濯機の前に立ってランプの点滅を見つめ作動音に耳を傾けて、不思議そうな満足げな顔をしていた。  ピーピーピーと、やっと乾燥までのすべてが終わって、私も少しいそいそと洗濯機の所へ行った。ふたを開けて洗濯物を取りだして見た。幾つかの衣類に取れないシワが出来ていた。私はここでまた説明書を読み返し、こういう乾燥機で乾燥させない方がよい衣類があるのを知った。新しい洗濯機の効果に興味津々で父も駆けつけたが、私が示した妙なシワが出来てしまったシャツとズボンを見て、 「それは洗濯機が悪いんじゃない。説明書をよく読まなかったおまえが悪いんだ。そうだろう」  父は不満を露わにそう云い捨てて居間に戻ってしまった。 「そうですね」  私は父の背中に云った。  妙なシワができたシャツとズボンは父の物だった。それが唯一の救いだった。
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