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 休日。私の仕事はお休みと云うことだが、それは外でする金を稼ぐ仕事がお休みと云うことであって、私自身の仕事は今日もある。掃除とか洗濯、それに父の食事も何か用意しなければならない。こういう仕事は、それぞれ長時間かかるわけではないけれど、どれも一日のうちで実行するタイミングというのが必要だ。食事はもちろん食事に相応しい時間に出来るようにしなければいけないし、洗濯も外に洗濯物を干すなら当然朝からやるに越したことは無い。そういう時は天気も気になる。部屋の掃除もそうだ。特に居間は父がテレビを見ていたりパソコンやスマホをいじっていたり、電話で人と話していたりする。そういう所に入っていって掃除機を使ったりすると、 「うるさい。見て分からないのか、邪魔なんだ。掃除はあとにしろ」  父は文句を云う。食事なんかもそうだが、「今日は出かけるから昼は少し早めに食べたい」とか、直前になって云いだしたり、とにかく自分の都合を物事を動かそうとする。そう云うとき、母がいたときは『掃除するからちょっと』とか云って、父をよそへ行かせていたし、父も無言でそれに従っていた思い出す。時々テレビなんかでゴミ屋敷とか云うのが出てくる。そこまで行かないにしても家事一切がほとんど適当に済まされている家もそんなに珍しく無いと言う話は聞く。それらの話を全部ひっくるめて考えると、「主婦って偉いよなあ」と最近よく感じる。一年365日ずっとこの調子で、毎日何かしら義務的使命的にすることがあるというのは精神的に辛いと思うからだ。会社の仕事は時間が来て、お疲れさんと云ってタイムカードを押せばそれであとは何もない。解放される。だが家庭の仕事に解放はない。母さんの顔が思い浮かぶ。  私が掃除を始めると父はよく「散歩してくる」といって出かける。掃除自体は決して自分ではやらないが、文句を云わずに家から姿を消すのが父なりのお手伝いのつもりなのだろうか。そんなときも私は考える。父にとって「休日」は本当に休みだ。思うまま気ままにしている。それは会社を定年してリタイヤ後に始まったというわけではない。父は昔っからそうだったと思う。そうなると結局、律儀に家事をやるのがバカバカしいように思えてくる。 『家事はもうやりません。自分の事は自分でやってください』って云ったら、父はどうするのだろうな。またそんなことを思いながら私は居間に掃除機を掛ける。「かったるいな。午後から昼寝しようかな……」
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