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 休日の午後。ゆっくりしたいところだったが食料品の買い物が必要だった。出来合いの惣菜やら、ちょっとした料理のための材料を買う。父は出来合いの惣菜を好まない。特に揚げ物の類いは箸も付けない。とにかく、簡単でもいいから、うちで一手間掛けて作った料理を好む。そして、「これは、おまえ、もう少し修行が必要だな」とか「これは意外とうまいな。また作れ」とか、日々の食事にそういう感想をしばしば云う。私は、この、感想を云われるのが苦痛で堪らない。いちいち鬱陶しい。口に入ればいい。そう思ってしまう。大体なぜ私は料理を押し行く作る努力をしなければならないかが分からない。料理を作るためにうちにいるのでは無い。母が亡くなって、私が家事をし始めたころは、父のこういう感想がとにかく無性に腹が立ったので、私はだんまりを決め込むか、 「ああそうですか」  顔も見ず素っ気なく返事をしていた。  そんな父だが、一人で買い物に行くこともある。自分の食べたいものを買って帰って来る。そして決まって、 「これ、旨いぞ。おまえも喰え」  そういう時に父が買ってくるのは、ふだん私が作っても食べないようなものが多い。それで「ああ、コレは食べるのか」なんて思って、別の機会にスーパーで同じ物を買って来て父に出すと、 「俺はこれは嫌いだ。いらない」という。 「でも、この間自分で買って来て、おいしいって云ってたじゃ無いですか」 「これは違う。おまえの買って来たものは、旨くない」  こういう態度には閉口するが、この『おまえの買って来たもの』という部分に大きなヒントがあることに気づいた。父が買って来て『旨い』というもののほとんどが、スーパーの店内で女性販売員が試食販売をしている惣菜なのだ。私は買い物中にそれに気づいて、一人で「フッ……」と笑って、父の秘密を握ったような気がした。そして通りすがって「いかがですか~」と猫なで声に女性販売員に爪楊枝に刺した試食を勧められ「いや。どうも……」と申し訳なさそうに断った。今日も、父が黙って食べる焼き鳥にしよう。そう思った。
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